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逃げ惑う人を両手を広げて“とおせんぼ”

「院内の入り口近くに設置してあった防犯カメラには、谷本容疑者が両手を広げて出口をふさぎ、中にいた患者を奥に追い込むような仕草や、逃げる人に体当たりして逃さないようにしている様子が映っていたようです。非常階段に通じる扉に外側から粘着テープのようなものが貼られており、消火栓にも使いにくいように細工がされていた。クリニック内では刃物も見つかっており、執念深い殺意が感じられます」(同前)

谷本容疑者

 谷本容疑者は2008年秋頃に離婚していたことが判明している。その後に孤独を深め、元妻ら家族と無理心中を企てた。2011年4月には長男の頭部を何度も包丁で刺す事件を起こして服役している(《24人死亡 北新地ビル放火》注目を集める“紙袋を置いた男”の正体「離婚後に孤独感から息子の頭部を包丁で何度も刺し、逮捕された過去が…」)。

 文春オンライン取材班は、過去の谷本容疑者を知る複数の人物に取材した。そこで浮かび上がってきたのは、「偏屈な職人気質」だったという谷本容疑者の横顔だ。

 谷本容疑者の実兄が明かす。

容疑者の実兄が証言「わめきちらしてそのまま…」

「私たちは4人兄妹で、盛雄には姉と妹もいます。私は妹たちとは仲が良いのですが、盛雄だけは30数年会っていません。もともと、親父が板金工場を経営していて、盛雄も15歳の頃から手伝い始めたんです。友達から遊びに誘われても『現場行かないといけないから』と追い返して仕事をしていました。高校卒業後の18歳からはそのまま親父の会社に就職して2年くらい働いていた。仕事はよくやっていて、腕はよかった。

 でもあるときに、ひとりだけそっぽを向いて仕事していたので『こっち向いて一緒に仕事しないとあかんやろ』って言ったら、つっかかってきたんです。それで俺が帰らせたら、それ以来、会社に来なくなりました」

 大手紙社会部記者によると、結婚し、子ども2人をもうけたのはその後。放火直前まで暮らしていた自宅を買ったのもこの時期だ。そして1990年に父親が亡くなる。谷本容疑者が30歳の頃だ。

規制線が張られた男の自宅 ©文藝春秋

「親父の法要で、みんなでご飯を食べる席を作ったんです。でも俺に対して何か気に食わないことが根にあるんでしょうね。その席でも酔っぱらって『兄貴はな!』と、わめきちらしてそのまま帰ってしまった。周りはあっけにとられていましたよ。親父が亡くなって長男の俺が社長を引き継いだことが気に入らなかったのかもしれません。それ以来会っていなくて、どこに住んでいるのかも知らない」(谷本容疑者の実兄)

 それから10年以上が経過した2002年3月、谷本容疑者は大阪市内の板金工場の求人募集に応募した。この工場の社長は当時の様子をこう振り返る。