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「池田先生の指導や書物を読み直しました。自衛権は生存権として認められるとしても、武力による抑止という発想は、命を軽んじている」

 ツイッターに「ひとりの学会員」というアカウントを作って発信した。ネット上では学会員だという人からも反応があって「同志はいる」と手応えも感じたが、地元の学会員の答えは違った。

「公明党に弓を引くことになるぞ」

「天野さんの言うことはわかるけれど、私は、公明党を信じるよ」――そう言われた天野は、煩悶する。「『信じる』か『信じない』かの話にすりかわってしまった。実際、私は『信心がない』と言われるようになった」

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 70代の幹部から「お題目は上がっているのか」「公明党に弓を引くことになるぞ」と言われたが、やめる気持ちにはならなかった。署名を募ることを思いつくと、「安保法案の白紙撤回を求めます」という意見サイトを立ち上げた。2か月弱で9177筆も集まった。

 全国から送られてくる署名簿には「地元組織では村八分にされた」「罵倒された」などと苦悩の手紙が添えられていることもあった。しかも、学会員の署名はグループでまとまって送ってくることはなく、一人、あるいは一家族分ずつ送られてくる。各地で孤立していると悟った。

公明党の山口那津男代表 ©AFLO

 信濃町の公明党本部に連絡を取って「代表の山口に手渡したい」と気持ちを伝えた。2代会長の戸田城聖が原水爆禁止宣言をした日を指定しての申し出だったが、メディアの注目を浴びていた天野の相談に、電話口の党職員は難色を示すばかり。

 しびれを切らして上京したが、建物前に立つガードマンから「私が預かることになっています」と言われた。職員に受け取ってもらうのに4日。熱くなる学会員に、組織は冷淡だった。選挙に取り組んできたことはなんだったのだという落胆がさらなる怒りに火をつけた。組織がおかしい、あるべき学会を取り戻してほしいという思いで新たにサイトを立ち上げ、執行部批判を始めた。

解任、除名、そして提訴

 すると学会の県トップから呼び出され、副支部長を解任された。それでも批判を止めない天野は19年4月、学会から除名された。20年11月、創価学会は対応のギアを上げ、天野のサイトが聖教新聞の紙面や写真を無断で使用していると提訴。天野は敗訴した。

 天野に法的な落ち度があったことは擁護できない。だが、学会側も、身内からの批判に耳を傾ける人情味と懐の深さがあってもよさそうなものだ。

「政策について異論を挟む学会員がいても議論するのでなく『不信心』のレッテルを貼って孤立させられ、組織内部の引き締めに利用するのが今の創価学会なんです」と話す天野の姿は寂しげに映った。