昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

 そして入管収容者の支援をしている男性から「ウィシュマさんが食事ができなくなっているようだ」と聞かされた眞野さんは、1月14日に2回目の面会へと赴いた。

「初回よりも憔悴していましたが、私たちが面会に来たことをとても喜んでいたように思います。入管に収容されると人間的な会話はほとんどできませんから、孤独感が募っていたのでしょう。私が作った曲を歌ってあげたら、彼女は目を初めて大きく見開いて嬉しそうな表情をしてくれました。あの顔が今でも忘れられません」

 面会が許されるのは1回につき40分。この日、眞野さんとウィシュマさんは仮放免の手続きや好きな食べ物について語り合った。しかし、40分間フルで面会ができたのはこの日が最後だった。

「1月18日付の手紙に、『わたしは12.5kgぐらいやせています。ほんとうにいまたべたいです』とひらがなで記されたポストカードが添えられていたんです。体調が気がかりだったので、2回目の面会から6日後の1月20日に再び入管へ行くことにしました。

バケツを両手で抱えさせられ

 しかし面会室に現れたウィシュマさんは、明らかに何か異変が起きていました。足取りはフラフラだし、『喉に髪の毛が絡まっている感じがする』『髪の毛が抜ける』と体調不良を訴えていて、負担をかけないために40分を待たずに面会を切り上げることになりました」

1月24日と27日の手紙。このころはまだかわいいイラストを描く元気があった Ⓒ文藝春秋
1月24日に書かれた手紙。ひらがなで書かれている Ⓒ文藝春秋

 ウィシュマさんの異変に不安を感じた眞野さんは、入管に対して必要な治療をするよう電話で強く申し入れた。しかし、担当職員は『電話では話せない』というばかりで、聞き入れてはもらえなかったと言う。そして4度目の面会となった2月3日、眞野さんの前に、ウィシュマさんはさらに弱りきった姿で現れた。

「入管の職員がウィシュマさんを車椅子に乗せて連れてきたんです。しかも、ウィシュマさんは青い大きなバケツを体の前に両手で抱えさせられていました。職員は、すぐに吐いてしまうから持たせていると言うんです。もう自力で身体を起こしていることも辛いようで、バケツにぐったりと寄り掛かるようにして、なんとか座っているような状態でした」

 ウィシュマさんの口はぽっかりと開き、呼吸もしづらくなっているようだった。「話し方からも、明らかに脱水症状が進んでいました」と眞野さんは語る。