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「水も取れていないから、痩せていくと同時に体が縮んで、ミイラのような肌になっていくんです。道端にいれば、誰もが救急車を呼ぶような状態になっていました。それなのに入管は『適切な医療行為を行っています』と入院させる様子もありませんでした。私もウィシュマさんを直視するのが辛いほどでした。面会室で私と彼女を隔てているアクリル板を何度叩き割ろうと思ったかわかりません」

 そして初対面からわずか75日後、3月3日が眞野さんとウィシュマさんの最後の面会になった。青いバケツを手で持つことさえできなくなり、車椅子に深く座らされているだけだったと眞野さんは語る。

「目は虚ろで、口をポカンと開けていて、言葉も聞き取れませんでした。でも、面会の最後に、ウィシュマさんの薄く開いた目と視線が合ったんです。するとウィシュマさんは、指が曲がったままの手をなんとか伸ばして『私をここから連れて行って』と呟きました。それが、私がウィシュマさんと交わした最後の会話になりました」

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祭壇には今もお花が供えられている Ⓒ文藝春秋

 それから3日後の3月6日、ウィシュマさんは息を引き取った。入管から眞野さんら支援者に連絡はなく、眞野さんはニュースを見た知人からの連絡で彼女の死を知った。「もしかすると『彼女が死ぬまで放っておくはずがない』と、ギリギリのところで入管を信じていたのかもしれません。彼女の死を聞いて、自分の想像力が全く足りていなかったことに気がつきました。もっとできたことがあったはず、彼女の命を救えたはずなんです」と眞野さんは悔いを滲ませる。そして入管職員の対応には、今も憤りを隠さない。

「入管という組織はいったい…」

「私は何度も何度も、職員にウィシュマさんが脱水症状であること、適切な治療を施すことを申し入れました。それを無視し続けた結果、ウィシュマさんは命を落としてしまった。それをどう考えているのか。2月5日の面会にウィシュマさんが現れず、『大丈夫なの?』と尋ねたとき、笑いながら『生きてますよー。大丈夫ですって』と言われました。調査で明らかになったウィシュマさんへの虐待まがいの行為や、遺族の方への『鼻から牛乳は日本のジョーク』という説明など、入管という組織はいったい人間の命を何だと思っているのでしょう……」

名古屋入管 ©時事通信社

 入管の収容所という閉ざされた空間で、ウィシュマさんの身に何が起きていたのか。ウィシュマさんが亡くなる直前の約6時間半に及ぶ監視カメラの映像は、24日に国会で理事らに開示される予定だ。そこには、一体何が映されているのだろうか。