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2021/12/21

genre : エンタメ, 芸能

松本人志の“審査基準”とは

 結局、最終決戦では、審査員7人中5人からの支持を得て、錦鯉が優勝を果たした。審査員の松本人志は3組の中から誰を選ぶか迷いに迷った末、「最後の最後は一番バカに入れようと思って錦鯉にしました」と答えた。

 松本が喝破した通り、錦鯉の長谷川の役割は「ボケ」というより「バカ」である。ボケはツッコミとの役割分担によって意識的に演じられるものだが、長谷川はその作り物っぽさを極限まで薄めて、自分の言葉としてバカなことを大声で叫ぶことができる。だからこそ、そこに問答無用の説得力が生まれ、笑いが起こるのだ。

 錦鯉の漫才を別の人が演じたら、ここまで面白いものにはならないに違いない。長谷川が「こんにちは」と叫ぶだけでなぜ笑いが起きるのか? それは、彼が本当に「こんにちは」と大声で言いそうな人間だからだ。

©山元茂樹/文藝春秋

 錦鯉の2本目の漫才では、長谷川が猿を罠にはめるためにバナナを置き、そのバナナをおいしそうだと思って自分で食べてしまい、自分が罠にはまってしまう。しかも、それを3回繰り返す。こんなバカバカしい行動がボケとして成立するのは、それをやっているのが長谷川だからだ。50歳の無邪気なおじさんが本気でバカをやっているからこそ、錦鯉は面白いのである。

『M-1』はどんどん高度化している

『M-1』という大会も歴史を重ねたことでデータが増えて、それを踏まえて出場する芸人が対策を練るようになってきた。『M-1』で勝つために、決勝に行くために、芸人たちは『M-1』用のネタを作り込む。『M-1』で勝つためにはこうすればいい、こういうネタを作ればいい、といった戦略はすでに知れ渡っていて、誰もが多かれ少なかれそこを意識しながらネタを作っている。

 これは、将棋の世界で将棋ソフトが強くなりすぎてしまい、ソフトによる研究がプロの間でも普通になっている、という状況に似ている。そのことによって、誰でもある程度のところまでは強くなることができるようになったのだ。

 この状況を指して、羽生善治九段は「将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれた。でも、高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きている」という言葉を残した。誰もがソフトを使えるようになったからこそ、それを使うことが最低限の前提になっていて、その先ではさらに高いレベルの競争が起こっているのだ。