「今日何やっているの?」「あっ、こっちは昼で終わるよ」「じゃあ、一緒に飯でも食おうよ」みたいな感じでコミュニケーションの時間がだんだんと増えると、みんなのことをそんなに知らなかったなぁと思うようになりました。
リビングでオンラインの授業を受けている友達がいて「今、何を受けているの」って聞いたら、データサイエンス系の授業で、僕も興味がある分野だったので、「今はこんな話をしていて……」と教わる時間も増えるようになりました。これはオンラインのいいところで、みんなが流しているものを聞いて、自分の専攻に活かせるかもと思うんですよ。
東京大学4年生、Oの述懐──
僕はもう4年になっていて、大学院の進学も決まったので、オンラインになってもまったく困りませんでした。むしろ、実家から登校する時間がなくなったので、ラッキーだなと思いました。でも、それは僕が4年生だからですよね。サークルやゼミでも友達はいるし、自分にとって必要なものがわかっているからです。
卒論を書くために今、スペイン風邪が流行したときの新聞を研究しているのですが、研究テーマと時代が重なってきて、過去と今と何が違うのかを体験できています。オンラインになったことのプラスは感じているのですが、もし自分が1年生なら嫌だと思うでしょうね。
東大新聞のコラム「排調」より──
東京大学新聞社の仕事も以前はどのように進めていたのか思い出せない。Zoomで会議をするのが普通。不要な外出をしないのが普通。3密を避けるのが普通。このような普通は、去年は存在しなかった。(中略)世の中が加速度的に変化する昨今、我々の「普通」も日々更新される。その順応の過程で、大切にしていた感覚も忘却していくのかもしれない
時間は平等に流れているが、時間に対する感覚は同じではない。1年生の半年と、4年生の半年、青年の半年、彼女の半年。そして私の半年は決して同じではないように。しかし、今はすべて大人の時間感覚が基準になってしまった。更新された「普通」の裏側に、多くの失われた時間が存在しているはずなのだが……。彼らは今日も静かに、東京で生きている。
【前編を読む】「やり直せると思っていたのに…」憧れの仕事を“いじめ”で辞めた風俗嬢が『鬼滅の刃』に見いだした“最後の救い”