コロナ禍に直面した日本において、東京大学はオンライン授業をいち早く取り入れた。ところが東京大学の学生を対象に実施されたアンケートからは、授業のオンライン化はコロナ禍における「福音」ばかりでもないことがわかった。

 ここではノンフィクションライター・石戸諭氏の著書『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)の一部を抜粋。授業形式の変化に戸惑う現役東大生の切実な声を聞く。(全2回の2回目/前編を読む)

©iStock.com

◆◆◆

ADVERTISEMENT

新しい友達ができない

 ここに一つのデータがある。データと言っても、科学的な調査ではなく、アンケート調査の結果にすぎないのだが、そこに看過できない声が記録されていた。東大新聞オンラインによると、彼らのアンケート調査でオンライン授業について満足だと答えた東大生は回答者の7割近くに達する。

 ところが内訳を細かく見ていくと、学年が下になるにつれて「満足」の割合がどんどん下がり、少なくとも2割近くの1年生は強い不満を抱いている。

「毎日部屋で一人で授業を聞いて課題をやるということが大学生活の全てであってよいわけがない(文Ⅲ・1年)」

「友達と呼べるような人も新しくできません。一部の授業でもよいので駒場に通いたいです。浪人期と同じ、下手したらそれ以上につらいです(文Ⅰ・1年)」

(東大新聞オンラインより)

 この声には重いものがあった。大学から依頼があり、私は2019年度から2年間の任期で、東京大学で非常勤講師を務めていた。「ニュースの未来」と題して、新聞、インターネットメディア、そして今のようなメディアも分野も横断するフリーランスのライターから見えるニュースの可能性について語る。週に一度、メディアに関心がある学生と接するのは良い刺激であり、今年も楽しみにしていた。

 当然ながら、新型コロナ禍で大学は一変した。赤門の前には警備員が立ち、所定の手続きをしていない場合、大学に入るための許可証を書くように求められる。私も毎週のようにA4の用紙に所属、名前、目的を書き、コロナの諸症状がないこと、周囲にも感染者はいないことにチェックを入れてから講義をしている。

 講義の形式をどうするかについても、選択を迫られた。私はといえば、現実的に新型コロナの流行が読めない以上、オンラインは外せないが、しかし対面の可能性も捨てたくなかったので、自分は毎週講義のために大学に行き、学生が対面かオンラインを選べるハイブリッド型で乗り切ることにした。毎回20人前後がZoom越しに「出席」しているのだが、対面を選ぶのは多くても2~3人だ。今、大学生は何を考えているのだろうか。もう少し学生の本音が聞きたくなり、キャンパスを歩いた。東京大学1年生、Kが2020年を終わる前に振り返る──。