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「勝てなかった時は選手たちがダグアウトで委縮していたんだと思う」野村克也監督時代の日本シリーズで生まれた“絶対大丈夫”の気持ち《高津臣吾監督インタビュー》

高津監督インタビュー #1

2022/01/01

絶対大丈夫が生まれた発想とは?

 今季の終盤、スワローズには流行語が生まれた。

 絶対大丈夫。

 これは9月7日のタイガース戦を前にしたミーティングで、高津監督が選手、スタッフに話した言葉だ。

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「絶対大丈夫。僕たちはどんなことがあっても簡単に崩れない」

 その3連戦を2勝1敗で乗り切ったスワローズ内にこの言葉は浸透していき、若き主砲・村上宗隆が「絶対大丈夫と思って打席に立ちました」と言えば、日本シリーズでMVPを獲得した中村悠平も、「絶対大丈夫と思いながら投手をリードしました」と答えるようになった。

 また、この言葉がプリントされたタオルが商品化されるなど、ファンにも大いに愛された言葉になった。

 選手たちの拠りどころとなった言葉は、高津監督のどんな発想から生まれたのだろうか。

©文藝春秋

「その前の週は、巨人相手に2敗1分け、カープにも1勝2敗と負け越してしまい、思うような試合運びが出来なくて、ムードが悪くなりかねなかった。僕としては、そこで選手たちのやる気を引き出せるような前向きな言葉ってなんだろう? と探していたんです。単純には『さあ、行こう!』とか、『頑張ってこい』とか、いつも使っている言葉になるけれど、もっと気持ちに響くような言葉が欲しくて。そうしたら、『絶対大丈夫』に行き着いたんです」

 言葉を探していくプロセスで、高津監督には気づきがあった。

 本来、「絶対大丈夫」という言葉は自分自身にかける言葉であって、人に言ったり言われたりする言葉ではない。逆に、そこに光明があった。

「『絶対大丈夫』という言葉は、試合をする時に、自分に言い聞かせるワードなんです。自分の内面に語りかける。だったら発想を変えて、選手たちに外部からこの言葉を投げかけたら、響くんじゃないかと気づいたんです。人から言われたことはない言葉のハズです。短い漢字5文字にしか過ぎないけれど、僕の気持ちが集約されていると思ったので、みんなを前にして、『絶対大丈夫』と話しました。何かあったら監督の自分が出ていくし、責任も取る。だからみんなは自信を持ってプレーして、気持ちよくグラウンドに立ってくれと」

 こうした発想には、野村克也監督の影響もあるという。

©文藝春秋

「野村監督は日本シリーズの時に、最善の準備はしたけれども、最後は相手もあることだし、勝負は時の運だからと言ってたんですよ。達観してました。全力で準備して、全力を尽くしてグラウンドで戦えればそれで十分なんだと。僕が現役時代に味わったような気持ちになって欲しかったので、それを『絶対大丈夫』という言葉に込めました」

 野球監督の仕事というのは、目に見えることや、数字の向上でチームが強くなったことを実証も出来ると高津監督は言う。けれど、勢いや、流れ、プレーする喜びといった数字に表せない部分からも、強さは引き出せるという。

「目に見えない面の変化は、ダグアウトにいて間違いなく感じました」

 1シーズン、選手たちの成長を間近に見ていた高津監督の思いである。

【続きを読む】「ノリ(青木)がコロナでいなくなって『2番どうすんのよ』となり…」高津臣吾監督の“打順の決め方”が今シーズン大きく変わった理由

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「勝てなかった時は選手たちがダグアウトで委縮していたんだと思う」野村克也監督時代の日本シリーズで生まれた“絶対大丈夫”の気持ち《高津臣吾監督インタビュー》

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