選手たちが安心してプレーに集中し、喜怒哀楽を素直に表現できる環境を作る。

 そしてなにより、監督自身が野球を楽しむ。

 それが「絶対大丈夫」が生まれた背景だった。

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 高津臣吾監督がそうした雰囲気づくりを心掛けたことが、東京ヤクルトスワローズが20年ぶりに日本一に返り咲いた要因のひとつになったことを1回目では紹介した。

 さらに、2021年に高津監督が大きく変えたことがあった。

 コーチ会議である。

 では、具体的にどんな変化を起こしたのか、高津監督に振り返ってもらった。(全3回の2回目。#1#3を読む)

©杉山拓也/文藝春秋

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「コーチ全員でやった方が効果的だと思ったんです」

「ピッチャーの交代や、打順を組むといったことの最終判断、決断をするのは監督の仕事です。ただし、決める前の段階での相談や意見の交換というものは、コーチ全員でやった方が効果的だと思ったんです」

 監督が最終責任を背負うことは当然のこととしながら、昨シーズンと今シーズンの大きな違いは、打順の決め方だった。

「僕はピッチャー出身なので、継投のことは自信を持って判断を下せるわけです。たとえば、日本シリーズの第6戦で、好投していた高梨(裕稔)を5回の途中で交代させたのは、1点取られた時点で継投に入ると決めていたからです。ところが、攻撃のことになると知らないことばかり。二軍監督時代は指名打者制だったし、2シーズン目に入ってもコーチたちから学ぶことばかりで」

©文藝春秋

 監督1年目の2020年は高津監督が打順を決め、試合当日の午前中のコーチ会議でスタメンの9人をコーチたちに提示し、選手にはコーチから伝えてもらう方式を採っていた。

「去年はそのスタイルでやっていたんですが、打撃コーチは3人いて、試合後になると『こういう方法もありましたかね』とか、『ここに彼を置いたら、こういう作戦も採れました』という意見がポンポン出てきて、三者三様の打順が組めて面白いなと気づいたんです。

 だったら、今季はヘッドコーチを含めた打撃担当の3人が話し合って打順を組み、それを僕に出してもらうようにしました。そのうち、守備についても誰にどのポジションを守らせるのか、これにもアイデアがあることが分かったので、打撃コーチには『守備コーチにも相談して、意見を上げてきてください』という話にしました。こういう形を採ったので、打順についてはみんなで作り上げるという感じでしたね」

 この「合議制」が功を奏したのは、シーズン序盤の4月、好調を維持していた青木宣親が新型コロナウイルスの濃厚接触者と判定され、戦列を離れた時だった。