12月11日、神宮球場で行われた野村克也監督を偲ぶ会。

 弔辞を読み上げた高津臣吾監督は、2020年の1月、スワローズのOB会で野村氏にかけられた言葉を紹介した。

「頭を使え。頭を使えば勝てる。最下位なんだから好きなように思い切ってやりなさい」

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 そして弔辞の後半では、「野村ID野球」にも言及した。

「私の役目は野村野球を継承していくこと。残すこと。そしてそれに新しいものを加え、『スワローズ・ウェイ』を今の選手に伝えていくことではないかと思っています。野村監督が作り上げた野村野球、すなわち考える野球。頭でやる野球の遺伝子は今も、そして、未来も生き続けています」(全3回の3回目。#1#2を読む)

©杉山拓也/文藝春秋

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野村野球と現代の野球はつながっている

 野村氏がスワローズの監督を務めたのは1990年から1998年までのこと。ちょうど高津監督の現役時代とぴったりと重なる。

 高津監督は、野村野球はいまだに有効だと語る。統計や映像の発達によってこの10年間でプロ野球界は大きな変貌を遂げたが、野村野球の現代性はどこにあったのか、高津監督に訊いてみた。

「間違いなく、野村野球と現代の野球はつながっています。むしろ、いまのプロ野球は野村さんの野球を基にスタートしていると言っていいかもしれない」

 野村野球の基本は、感覚に頼りがちだった野球の世界に「論理性」を持ち込み、論理を構築するために「観察すること」、「考えること」を浸透させた。

©️文藝春秋

強打者に対するときのマインドセット

 高津監督自身、現役時代は考えることで配球が変化し、強打者に対するときのマインドセットが大きく変わったという。たとえば、当時のセ・リーグを代表する打者である巨人の松井秀喜の攻略法はそれまでの常識とは大きくかけ離れていた。

「松井選手と対戦する時は、ボールカウント3―0になってもぜんぜんOKという発想に変わりました。3ボールになったら、ファンの人は絶対に打者有利と思うじゃないですか。それが違う。かえって、このカウントの方が投手に有利に働くこともあるーーというのが野村野球の発想」

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 3―0になると、主砲の松井は次の球を必ずと言っていいほど見送る。

「だから、簡単にひとつストライクを取れるんです。これで3―1。実は、初球から勝負に行ったりすると、このカウントにはならない。早めに決着がついちゃうから。逆に、3―1になると、松井選手は振ってくる確率が高くなるので、彼が手を出しそうなところ、ヒットゾーンから少しずらしたところに投げます。プランとしてはこれでファウルを取って、フルカウント。

 3―2になっても、みなさんは打者有利と思いますよね。野村監督の教えでは、バッターには三振したくないという心理が働くから、際どい球は振ってくる。これを生かせば、投手有利になるという発想でした。

 僕の場合、松井選手に対しては、その日の球審との相性も考慮して、本当にギリギリのところに投げて見逃しの三振を取るか、打者心理を利用して、低めのストライクゾーンぎりぎりのところからシンカーを落として空振り三振を取る、あるいは引っかけさせて内野ゴロに打ち取るパターンを考えてました」