引退会見で感情が溢れることはなかった。タイガースで16年。マリーンズで2年。鳥谷敬内野手が18年間に及んだ現役生活に自らの手でピリオドを打った。11月3日にマリーンズの本拠地ZOZOマリンスタジアムで行われた会見は関西からも大勢のメディアが駆け付けた。ユニホームを脱いだレジェンドの表情は終始、穏やか。やりきった男の顔だった。
「野球には終わりがあるんだ」と初めて意識した瞬間
「プロ入りしたころから終わりは意識していました。プロに入ってから毎年、辞める人を見てきた。おのずと終わりは意識していました」
引退について鳥谷は「終わり」という表現を使った。連続試合出場は歴代2位の1939試合。通算試合出場数は18年間で2243試合、2099安打を放った。闘いの日々は辛い事の連続だった。疲労、心労、骨折などの大怪我にも、たびたび見舞われた。世間から鉄人と評される男も実際は生身の人間である。表には出さないものの弱い心は当然ある。そんな時に鳥谷は自分で自分に語り掛ける時間を作った。自問自答の中で持ち出される議論はいつだって同じ。この世界における普遍の原理。始まりがあるものには必ず終わりがあるということだ。
「いつだって、もし、今日の試合が最後になったとしたら疲れているから、どこか痛いからといって試合を休むか? 苦しい時にそう自分に問いかけていました。答えは一つ。当然、試合に出るになる。そういう風に終わりを意識して日々、最善を尽くしてきたつもりでいますから、実際、こういう日を迎えても普通でいられる。もちろん悔いはありません」
だからこそ鳥谷は子供の時から続けてきた野球選手としての終わりが現実生活において目の前に迫った時、しっかりと受け入れ、次を見ることができた。感傷に浸ることは一切、なかった。
野球の終わりを一番最初に意識したのは大学3年生の時だった。高校生で同じく野球をしていた5歳年下の弟が病気を患い、野球が出来なくなった。突然の事だった。その時に初めて終わりを意識した。
「あんなに野球が好きだった弟が病気で野球ができなくなった。突然、終わりが来た。ああ、野球には終わりがあるんだとその時、初めて思った」と鳥谷。そこから意識に変化が生まれた。1日24時間という限られた時間をどう野球に活用して過ごすかを最優先に考え成長を続け、走り続けた日々だった。
ラストイヤーの今年の3月26日。福岡PayPayドームでのホークスとの開幕戦に7番遊撃でスタメン出場を果たした。遊撃手の39歳9カ月での開幕スタメンは14年イーグルス松井稼頭央の38歳5カ月を上回り、史上最高齢となった。「ルーキーの時から40歳の年にショートを守るというのを目標にしていた」という鳥谷にとって1年目に掲げた具体的な目標に足を踏み入れた瞬間でもあった。そして終わりを意識することにもなった。
「40歳の節目で、自分で自分をどう思うか?と考えた時に辞める時と思いました」
鳥谷はレギュラーシーズンが終わった翌10月31日のタイミングで引退を球団に伝え、現役生活に終止符を打った。