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小島秀夫が観た『マッドマックス』&『リュミエール!』 

モノクロが魅せる「映画の本質」とは何か?

2017/12/03

genre : エンタメ, 映画

デバイスが「もうひとつの映画史」を描きつつあるのかもしれない

 当初、映画の敵と見なされたテレビも、映像配信の端末であるスマートフォンもタブレットも、映像をフレームで囲むという点では同じである。今や劇場に出かけなくても、映画を楽しむことができる。ポップコーンやコーラは、映画鑑賞の必須アイテムではなくなったし、恋人や家族連れではなく、個人で映画をいつでもどこでも楽しむことができるようになった。

 様々なデバイスの登場は、リュミエール兄弟が作った映画興行を過去のものにしつつある。もしかしたら、それらデバイスは、エジソンが作ったキネトスコープが実現した「もうひとつの映画史」を描きつつあるのかもしれない。個人で映画を楽しむ時代には、みんなが楽しめる万人向けの映画を作るというバイアスはゆるくなってくる。劇場映画に課せられた2時間という枠もなくなる。

『エジプト』(1897) © 2017 - Sorties d’usine productions - Institut Lumière, Lyon

 しかし、それはリュミエール兄弟の呪縛から映画を解放してくれるかもしれないが、新たな別のシステムとマーケットが映画を規定し直すことに他ならない。スマートフォンの小さな画面でも鑑賞に耐えるような絵作り、いつ見始め、いつ見終わってもいいような構成や物語という、新たな規定が生まれるのだ。興行という旧来の映画ビジネスから映画を解放してくれるかも知れないが、やはり、ここでも映画はフレームの呪縛から自由にはなれない。

ゲームと映画の本質的な違い

 どうしたら映画はもっと自由になれるのだろうか?

 例えば、ビデオゲームも、映画と同じように、かつては筐体が並ぶゲームセンターに出かけなければ遊ぶことができなかった。しかし家庭用ゲーム機は、ユーザーのリビングにゲームセンターを持ってきた。さらに、携帯ゲーム機やスマートフォンは、ゲームをリビングから解放した。もはやゲームは、時間や場所を選ばないエンタテインメントになっている。

©2015 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED

 しかしゲームも映画同様に、画面のフレームに呪縛されている。ただ、ゲームはそもそも、映画とは異なり、同じものを同時に、多くの観客と一緒に楽しむ「見世物」「興行」ではなかった。さらに、テクノロジーの進化によって、インタラクティブな個人のエンタテインメントとして、映画とは異なる道を歩んだ。映画がひとつの物語をみんなで共有するものだとすれば、ゲームはひとつの共通した世界で個人の物語を体験するものだ。

 エジソンの箱とリュミエールのスクリーンが始点となって、どこかで出会って新しいエンタテインメントを生み出すかもしれない。いつの日か誰も知らない駅に到着するかもしれない。