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平成の間に精神科患者は倍増した…精神科医が「日本人のメンタルヘルスは決定的に変わった」という“ある理由”

『博報堂生活総研のキラーデータで語るリアル平成史』より #2

2022/01/16
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「抱える」「解決する」力が失われつつある

 だからといって、望ましいことばかりだったとは言えない、とも私は考えています。精神医療の充実に加え、平成30年の間に私たちはハラスメントやいじめの対策を積み重ね、ブラック企業を取り締まり、過度の残業を撤廃するよう努めてきたはずなのに、(1)「精神的な疲れを感じていることが多い」や(2)「ストレスを感じる」と答える人の「生活定点」のパーセンテージはほとんど変わっていません。(3)「病院に行かずに健康相談できる人が身近にいてほしい」や(4)「家族での人間関係にストレスを感じる」のデータまで踏まえるなら、私たちは平成以前に比べてメンタルヘルスの問題を自力では解決できなくなり、家庭や職場や学校でも抱えきれなくなっているようにみえます。総じてみれば、個人や家庭や職場や学校からメンタルヘルスの問題を解決したり抱えたりする機能が失われてきているのではないでしょうか。

 あるいは社会変化に伴って、私たちはより好ましいメンタルヘルスの状態をお互いに期待しあうようになり、より細かなメンタルヘルスの不調まで問題視しあうようになった、そのニーズに応えるべく精神医療が充実した……とも言えるかもしれません。平成元年の社会に比べて令和元年の社会はずっと進歩し、過ごしやすくなったはずなのに、いや、ずっと進歩し過ごしやすくなったからこそ、私たちはその進歩にふさわしいメンタルヘルスの望ましい状態を維持しなければならないよう、強いられているようにも、私には思われるのです。

写真はイメージです ©iStock.com

精神医療のサポートが必須とされる社会の問題

 メンタルヘルスの不調の早期診断・早期治療が可能になったこと自体は望ましかったとしても、平成以前なら問題なしとされていただろうメンタルヘルスのコンディションまでもが病気とみなされ、治療されなければならなくなったのは本当に望ましいことだったのでしょうか? たとえば発達障害の診断と治療が推し進められ、さまざまな福祉的オプションが利用可能になったこと自体は望ましいと言えますが、発達障害の人がそれそのままでは活躍しにくい社会が到来したことまで望ましいと言って構わないのかは難しい問題です。

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 より沢山の人が精神医療のサポートを得られるようになったこと自体は望ましくても、より沢山の人が精神医療のサポートを受けなければならない社会、より沢山の人が精神医療のサポートなしでは生きていけない社会が到来することは、手放しで喜んではいけないように思います。また、精神医療のサポートを得られるようになったといえども、学校も職場も、社会も個人もメンタルヘルスの問題を解決したり抱えたりできなくなっているのは、それはそれでひとつの問題でしょう。

 こうした視点で平成30年の社会の変化とメンタルヘルスを振り返るなら、獲得したものだけが大きいのではなく、喪失したものもきっと大きかったのだろうと、私は思わずにいられません。

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博報堂生活総研のキラーデータで語るリアル平成史 (星海社 e-SHINSHO)

博報堂生活総合研究所・編

講談社

2021年12月24日 発売

平成の間に精神科患者は倍増した…精神科医が「日本人のメンタルヘルスは決定的に変わった」という“ある理由”

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