「たぶんストリップ劇場の踊り子さんについて書かれた本や映画はわりとあると思うの。でもキャバレーの踊り子さん(ヌードさん)の記録はほとんど残っていないので、キャバレーの古き良き時代をギリギリ体験できたヌードさんの私が記憶のある限り残していこうと思います!」(『エロチカ・バンブーのチョットだけよ』「まえがき」より)
1960年代から1970年代に流行したキャバレーでは、きらびやかな店内に豪華なビッグバンドの演奏、それに合わせて踊る踊り子たち目当てに多くの客が詰め掛けた。そんなキャバレーの世界から踊り子としてデビューし、2003年にラスベガスで開催された大会で全米1位となったエロチカ・バンブーこと野口千佳氏の初の自伝『エロチカ・バンブーのチョットだけよ』(東京キララ社)が発売された。奥手だった美大生がいかにして世界を股にかけるダンサーになったのか。波乱万丈の半生を綴った本書から一部を抜粋して紹介する。
著者は1990年半ばまで関西を中心に全国のキャバレーのショーの出演していた。しかし、本格的に活動拠点を東京に移すとそのカルチャーギャップにショックを受けたという――。(全5回の3回目。#1から読む)
(転載にあたり一部編集しています。年齢・肩書等は取材当時のまま)
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私たちはパルコ賞受賞を機に、長年住んだ居心地のいい京都から東京へ引っ越すことにしました。この軽いフットワークは今でも自慢です。
東京でカルチャーショック「ちゃぶ台がステージ」
そして彼はアートの方向へ。私はたまに彼の作品のモデルになったり手伝ったりしましたが、やはり私にはショーの世界が向いていました。10年在籍した関西の芸能プロダクションをやめて、フリーランサーとして生きてゆくことになったのです。まあどうにかなるだろうと、都内のキャバレー専門の芸能社を当てもなく探し出しては宣材を持って面接に行ったり、イベントのブッキングをやり始めました。不景気の中、フリーでやっていくことの大変さを思い知り、どんなに芸能社に守られていたのかを改めて実感し、心から感謝しました。
そして早速東京のキャバレーで踊り始めるのですが、関西に比べて東京のキャバレーはショーに対していい加減なお店が多くて愕然としました。東京に期待していた分、随分とがっかりしたのを覚えています。それはもう最後には怒りに近いものがありました(笑)。
大手キャバレーチェーンのハリウッド池袋では、照明も音響も適当でライトが自分に当たらないときは、自らショーの最中にピンスポットに当たりに行き、光のなかへ飛び込みました。呆れ果てて言葉もありません。
またハリウッド立川では、ステージがなんとIKEAで売ってるようなちゃぶ台だったこともありました。それほど東京のキャバレーではショーに対しての愛が感じられなかったのです。まるでダメ男を愛してしまったかのよう。
東京のキャバレーでバンドさんが素晴らしかったのは蒲田のレディタウンでした。「セッションとはこのことか!」と思うほどバンマスのサックスと私の踊りの合戦は楽しかった。最後には2階席のお客さんも身を乗り出してくるほどでした。グルービー!