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「なぜヌードダンサーに?」ヤクザの若衆と交わしたアウトサイダートーク《“ヌード界の宮崎美子”が明かす昭和のエロ文化史》

『エロチカ・バンブーのチョットだけよ』#1

2022/01/03

「たぶんストリップ劇場の踊り子さんについて書かれた本や映画はわりとあると思うの。でもキャバレーの踊り子さん(ヌードさん)の記録はほとんど残っていないので、キャバレーの古き良き時代をギリギリ体験できたヌードさんの私が記憶のある限り残していこうと思います!」(『エロチカ・バンブーのチョットだけよ』「まえがき」より)

 1960年代から1970年代に流行したキャバレーでは、きらびやかな店内に豪華なビッグバンドの演奏、それに合わせて踊る踊り子たち目当てに多くの客が詰め掛けた。そんなキャバレーの世界から踊り子としてデビューし、2003年にラスベガスで開催された大会で全米1位となったエロチカ・バンブーこと野口千佳氏の初の自伝『エロチカ・バンブーのチョットだけよ』(東京キララ社)が発売された。奥手だった美大生がいかにして世界を股にかけるダンサーになったのか。波乱万丈の半生を綴った本書から一部を抜粋して紹介する。

 美大生だった著者はひょんなことから踊り子としてデビューすることになってしまう。あれよあれよという間に人気ダンサーとして名を馳せ、「ヌード界の宮崎美子」と呼ばれて全国各地でショーをする日々を送っていた。お客さんの中にはヤクザの親分や極道の妻もいたという――。(全5回の1回目)

(転載にあたり一部編集しています。年齢・肩書等は取材当時のまま)

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お客さんはヤクザ屋さんからロイヤルファミリーまで

 数えきれない場所、数えきれない記憶……そして数えきれない人々に、日本や海外で出会ってきました。そこにいる人々をステージ上で踊りながら眺めて思うのは、“ショーを見に来られる人々はどこか滑稽で愚かで憎めない人たち”ということでした。当時20歳そこそこの生意気だった小娘の感想は、今でもあまり変わりません。

キャバレー天守閣のステージにて(写真:グレート・ザ・歌舞伎町)

 そのほとんどが中年以上のお客さんたちでした。お医者さん、先生、華道家、季節労働者、自衛隊、政治家、日雇いのおじさん、漁師さん、ビジネスマン、経営者、極道の妻、芸能人、パチプロ集団、ヤクザ屋さん、そしてロイヤルファミリーまで。

 芸能人がその道の方々のパーティーで仕事をしたことでバッシングが起こる現代の風潮に私は呆れるばかりです。お客さんはお客さん。そのショーを見たいという気持ちには変わりないと思っています。裏道か表道かなんてどうでもいいこと。品行方正な振る舞いを河原者に求める方がどうかしてると思います。でもそれを言えるのはB級芸能人の強みかもしれませんね。メインストリームはやたらと不自由。

 でも思い出してほしい。河原で自由に踊り歌い世の中に反旗を翻し、その常識には囚われない芸能が人々の心に響き、目に見えない愛や霊験を生み出したはず。

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