「たぶんストリップ劇場の踊り子さんについて書かれた本や映画はわりとあると思うの。でもキャバレーの踊り子さん(ヌードさん)の記録はほとんど残っていないので、キャバレーの古き良き時代をギリギリ体験できたヌードさんの私が記憶のある限り残していこうと思います!」(『エロチカ・バンブーのチョットだけよ』「まえがき」より)
1960年代から1970年代に流行したキャバレーでは、きらびやかな店内に豪華なビッグバンドの演奏、それに合わせて踊る踊り子たち目当てに多くの客が詰め掛けた。そんなキャバレーの世界から踊り子としてデビューし、2003年にラスベガスで開催された大会で全米1位となったエロチカ・バンブーこと野口千佳氏の初の自伝『エロチカ・バンブーのチョットだけよ』(東京キララ社)が発売された。奥手だった美大生がいかにして世界を股にかけるダンサーになったのか。波乱万丈の半生を綴った本書から一部を抜粋して紹介する。
台湾のイベントで出会ったアメリカ人のスカーレットに招待され、著者はサンフランシスコのイベントでアメリカデビューを果たす。イベントでのショーが好評だったことに自信をつけた著者は海外の活動を意識する。しかし、帰国直後に9.11が起きてしまい――(全5回の4回目。#1から読む)
(転載にあたり一部編集しています。年齢・肩書等は取材当時のまま)
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“悪の国”でも踊りに だって呼ばれたのだから
サンフランシスコでデビューして自信をつけた私は、海外で活動することにますます興味を持ちました。日本の地方のキャバレーやクラブ、またはクラブイベントでのショーから少し外へ出てみたいという欲望がますます強まりました。これは行くっきゃない。でもどうしたらまた海外へ出て行けるのだろう? まったくわかりませんでした。
サンフランシスコから帰ったその年の9月、ワールドドレードセンターが崩壊しました。日本でも平和運動が活発になり、ピースウォークが日本各地で行われていました。それは中東いじめをするアメリカに対してのデモンストレーション。私も友人たちと参加したものの、この運動に疑問が湧いてきました。反対ばかり叫んで対立していても世の中は平和になんてならない。
そんなときスカーレットから彼女の友人がアリゾナで「セックスワーカー・フィルム&ビデオ・フェスティバル」を11月に開催するので、参加しないかとオファーが来ました。「こんな時期にアメリカへ行くなんてどうかしてる」とか「あんな悪の国へ行くのは間違っている」など、友人のアクティビストや芸術家面した奴らは私を批判してきました。でも私は呼ばれた。“悪の国”でも“テロリストの国”でも踊りに行きましょう。だって呼ばれたのだから、断る理由は何一つない。