「たぶんストリップ劇場の踊り子さんについて書かれた本や映画はわりとあると思うの。でもキャバレーの踊り子さん(ヌードさん)の記録はほとんど残っていないので、キャバレーの古き良き時代をギリギリ体験できたヌードさんの私が記憶のある限り残していこうと思います!」(『エロチカ・バンブーのチョットだけよ』「まえがき」より)
1960年代から1970年代に流行したキャバレーでは、きらびやかな店内に豪華なビッグバンドの演奏、それに合わせて踊る踊り子たち目当てに多くの客が詰め掛けた。そんなキャバレーの世界から踊り子としてデビューし、2003年にラスベガスで開催された大会で全米1位となったエロチカ・バンブーこと野口千佳氏の初の自伝『エロチカ・バンブーのチョットだけよ』(東京キララ社)が発売された。奥手だった美大生がいかにして世界を股にかけるダンサーになったのか。波乱万丈の半生を綴った本書から一部を抜粋して紹介する。
ひょんなことから踊り子デビューしてしまった著者。お客さんの中には裏社会の人間も多かったが、意外な客はそれだけではなかったようだ。全国各地のショーに出演していた著者が出会った「意外過ぎるお客さん」とは――。(全5回の2回目。#1から読む)
(転載にあたり一部編集しています。年齢・肩書等は取材当時のまま)
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“安く”見えてはいけない「グランドキャバレー月世界」
次は“ヌード界の宮崎美子ちゃん”というキャッチフレーズをつけてくれた熊本のグランドキャバレー月世界のお話。ここでは台湾の芸能団も入ったとても華やかなショーが繰り広げられていました。この店は本格的な中華料理が売りで、ショー出演者の楽屋にもおいしい夕食が出されました。
出演者のための専用のアパートがお店の近くにあり、出演する芸能人たちは毎回とても大切にされていました。こういう大きなグランドキャバレーでは、タレントさんを客席につけることはほとんどありませんでした。それは夢を売るタレントさんが簡単にお客さんの側に行くことで安く見えちゃいけないという理由でした。“近所に住む隣のお姉さん”であってはダメだったのです。昔の気質が残っていた素敵なキャバレーでした。