映画は有名なサンフランシスコのストリップ・ジョイント(劇場)のドキュメンタリーや詩的で叙情的な映画、レズビアンのポルノまで幅広く上映されました。裸がほとんど出てこないのは私の作品だけでしたけれど。
夜はみんなでメキシカンレストランへ。冷えたマルガリータを飲みながら各地のセックスワーカーに対する人権の話や状況などを語り合いました。「日本の状況はどうか?」と聞かれたところで、「実はまったくアクティビズムに興味がない」とも言えず、英語もできなかったので、正直に「楽しく踊ってます!」と答えました。ノーテンキな私にみんなは、「なるほど~」とニコニコ。和気藹々と交流会は過ぎてゆきました。なんだかよくわからないけれど、こんな感じで私はアメリカに受け入れられていきました。
セックスワーカーの「誇り」と芽生えた「敬意」
日本の性風俗はアメリカよりも安全でオープンなのは確か。ミニスカート履いていても「いくら?」って聞かれないし、アメリカに比べたら風俗嬢がお客さんに暴力を受けることも少ない。あからさまな貧富差別も人種差別もないでしょう。電車の吊り広告に胸を強調したビキニの女性がいるくらいですから。
子供の頃は、性産業に就く女性はいかがわしく心の荒んだ人たちの仕事だと思っていて、つい最近まで精液っていうものを恐れ毛嫌いしていたはずなのに、私はその道を貫いている彼らを尊敬し、まったくの思い込みだったことに気づかされ、自分もそのジャンルで仕事してきたということに、誇りを感じるのでした。
サンフランシスコで自信をつけたからここも大丈夫に決まってると思っていました。しかし、しっかり数人からブーイングを受けました。お尻に大きく「NO WAR!」と書いたから? または単に私のショーが嫌いだった?
ショーの後、楽屋として使っていたトイレまで「あなたは素晴らしかったわ! 良かったのよ!」と心配して言いに来てくれる人たちもいました。でもこのくらいのことは日本のキャバレーで鍛えられているので、そういう反応もあっても当たり前。楽屋まで私に文句を言いに来た人もいました。たぶんブーイングをした1人だと思うけれど、連れ出されてしまって少し残念でした。彼女が何を言いたかったのか、知りたかったし会話したかった。周りのみんなに聞いても、「気にしないで」と言うだけ。これだけは英語が理解できないアンラッキーな点でした。