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昭和のアウトローは堂々として優しかった!

 対馬にあったキャバレー白馬車でのショーの後、お客さんに呼ばれました。その方はまさにその道の方。ドーンと構えた親分は、大阪の〇〇組の組長さんでした。子分のおじさんたちを連れて釣りをしに対馬まで遊びに来られていました。

「この世で一番大切なのはなんだと思う?」

「もちろん、愛です」

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「違うよ、お金だ!」

 なんと想像通りのお答え。

「世の中の道徳なんて、時代によってコロコロ変わるんだよ。信じられるものは金のみ」

 私は「信じられるものはお金だけじゃないけど、常識なんて変わる」と母から言われ続けてきたことを思い出し「まったく同意します」と相槌を打つと、親分は私に立派な名刺をくれました。

「何かあったら連絡をよこしなさい。力になるから」

 和紙でできた名刺には肩書きにしっかりと“〇〇組組長”と書かれていて、その裏も表もない、いや、裏稼業だけれども「俺は組長だ!」という正々堂々とした意志が潔く伝わってきました。その名刺が神々しくて、しばらくウチのリビングに飾っていました。

デビュー当時の野口千佳さん(写真:楢木逸郎〈写真集『THE DANCERS』COUNTRY PRESSより〉)

 私はこの世界に入ってから、世間一般の世の中で疎まれているものには悪い一面だけではないという確信が生まれていました。

 あるとき混雑した新幹線に乗ったときのこと。ほとんどの乗客が立っているなか、怖そうなおじさんたちの隣の席が2つも空いています。見て見ぬふりをする乗客の間を縫って「すみません、そこ空いてますか?」と入り込みました。踊り子さんは肉体労働、少しでも移動時間は体を休めたいのです。すると怖い人たちの顔が綻んで、「どうぞどうぞ。お姉ちゃんどこまで行くの?」と紳士的に窓側席へ入れてくれました。そのうえお弁当までご馳走してもらったり。

医者もヤクザもジャパゆきさんも 和気藹々の高級クラブ

 鹿児島のとある小さな漁師町にあった小さな高級クラブでは、町に1人だけのお医者さんから、たった1人だけのヤクザまでが集まり一緒に飲んでいました。ジャパゆきさんのフィリピーナも鹿児島弁が達者で、私には理解不可能な会話で皆、和気藹々と仲良しでした。お医者さんが、山下清画伯に似たヤクザの男性に「もっとしっかりしろ」と説教する様子がなんとも微笑ましく、それぞれの役割が決まっていてみんなそれを演じているような、そんな不思議な町でした。

 このヤクザのお兄さん、どこか純真で素朴。お客さんたちに「お前が踊り子さんを町案内してやれ」とせっつかれ、私は昼間はまったくお客さんとは付き合わないのですが、このときは吉本新喜劇の役者さんのような、どこかとぼけた彼の町案内を受け入れました。翌日、車で迎えに来てくれましたがなんと軽トラ! それも町に一つの電気屋で借りてきたというその車で案内していただきました。お土産にと畑にズカズカ入って行き、大きな文旦を盗んで私に持たせてくれました。

「え!  いいの? 泥棒だよ」

「いいの、いいの、持っていって。またおいでよね、この町に」