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上武大初のプロ野球選手…待っていた「現実」

 以前からプロになりたいと思っていたが、それは野球をする子どもたち誰もが描くような、淡くて遠い夢だった。果たしてそれは現実となり2004年のドラフト会議で日本ハムから6巡目指名を受ける。上武大から生まれた、初めてのプロ野球選手。菊地は、退部を引き留めてくれた高校の監督と谷口監督にこれ以上ない恩返しをすることができた。

 晴れてプロとなり「当時は有頂天でしたね」という菊地だったが、現実は厳しいものだった。

「実際投げてみて、これでどうやったら活躍できるのか想像できなかったんです」

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 あまりにも高かったプロの壁。入団して4年目までは、まったくと言っていいほど成績を残すことができなかった。

©文藝春秋

“恩人”との出逢いが変えたプロ野球人生…迎えた“覚醒の予感”

「自分の殻をぶち破ることのない時間がつづきました。技術的にも精神的にも成長しきれないままで、そこから抜け出させてくれたのが、当時日本ハムのチーフトレーナーだった中垣征一郎さんでした」

 中垣は、今シーズン25年ぶりにリーグ優勝を果たしたオリックス・バファローズで巡回ヘッドコーチを務める名伯楽である。

「とくに動作の改善を指導されました。力を発揮するためにはどうしたらいいのか教えてもらって3、4年目は徹底的にそれに取り組んだんです。また、同期入団で年下なんですけどダルビッシュ有にも気にかけてもらって、いろいろとアドバイスをもらいました」

 覚醒の予感を感じたのは4年目の2008年、シーズンも押し迫った9月14日のオリックス戦で強打者のアレックス・カブレラと対峙したときだ。

「ここで打たれたらファーム行だと開き直ってストレートをつづけたんです。そうしたら2球連続してほぼ真ん中の球で空振りが取れた。これだって、手応えを感じたんです」

 真っすぐに滅法強いカブレラからの空振り。これが契機となり菊地は、この世界でやっていける自信を掴んだ。

当時の日本タイ記録となるシーズン55本塁打を記録した経験も持つ強打者、アレックス・カブレラ(オリックス時代) ©AFLO

リーグ優勝貢献の大活躍の裏にあったもの

 そして翌2009年、菊地は年間を通じ一軍に帯同されチーム最多タイの58試合に登板。リーグ3位の26ホールドポイントを挙げると日本ハムのリーグ優勝に貢献する大活躍をみせた。プロで初めて美酒を浴び、最高の経験となった1年だったが、菊地はあのときのことを冷静に振り返る。

「外から見れば突然活躍したように見えるかもしれませんが、中垣さんの指導やダルビッシュのアドバイス、カブレラからの空振りなど、他にもいろいろなことがあっての結果なんです。活躍するのは簡単なことじゃないけど、必然的というか、その条件が揃ってようやく成し遂げられたのかなって」