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《紅白歌合戦“裏番組”の戦い》「1000万円積んだら、シナトラに話してやるよってギョロナベさんが…」本家に正面から挑んだ「85年・世界紅白歌合戦」36年ぶりの“誕生秘話”

紅白歌合戦「裏番組」を巡る・疋田拓氏インタビュー#1

2021/12/30

『NHK紅白歌合戦』の裏番組として、『世界紅白歌合戦』を開催する――。1985年、フジテレビは壮大な構想をブチ上げた。前年に視聴率78.1%を稼いだ国民的人気を誇る紅白に対抗してティナ・ターナー、a-ha、シーラ・Eなどの世界的アーティストを集結させ、東京を拠点にロサンゼルス、ロンドン、ハワイ、香港から衛星多元中継を行なったのだ。その総指揮を取ったのが、『夜のヒットスタジオ』でプロデューサーを務めていた疋田拓氏である。今回、疋田氏は文春オンラインの取材に応じ、当時の「秘話」を明かしてくれた。『世界紅白』誕生の契機は8ヶ月前、TBSの名物社員の前での“現金1000万円積み上げ”に遡るのだという。(全2回の1回目/2回目を読む)

疋田氏 ©文藝春秋 撮影・宮崎慎之輔

「ウチは2時間にしましょう!」と言ったら、鹿内春雄副社長が『それは面白い!』と

 チェッカーズの『ジュリアに傷心』がオリコン年間売上1位に輝き、中森明菜の『ミ・アモーレ』が日本レコード大賞を受賞した1985年、音楽業界は活況を呈していたように見える。しかし、歌番組の視聴率は減退していた。『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)、『ザ・ベストテン』(TBS系)、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)の数字が前年の春から揃って下落。年明けには『ザ・ベストテン』の人気を牽引してきた司会の久米宏が降板すると報道され、衝撃が走っていた。

「ほかの2番組とも、打ち切りになるという噂が出ていたんですよ。ご多分に洩れず、『ヒットスタジオ』も辞めようかという話になった。その時、逆の発想で『ベストテンもトップテンも終わるなら、ウチは2時間にしましょう!』と言ったら、当時の鹿内春雄副社長が『それは面白い!』と乗ってくれたんです」(疋田氏、以下同)

 結局、『ベストテン』も『トップテン』も続いたが、『夜ヒット』は月曜22時台の1時間から水曜21時2分~22時52分の2時間の放送枠に拡大した。

『夜のヒットスタジオ』

「目玉はなんだ?」「「毎週外タレ(外国人のタレント)を呼びます」

 新装開店した『夜のヒットスタジオ DELUXE』は視聴率を取り戻すため、斬新な企画が必須だった。鹿内氏は「目玉は何だ?」と問うた。疋田氏は見切り発車で、「毎週外タレ(外国人のタレント)を呼びます」と答えた。当時、最先端の衛星中継を活用しようと考えたのだ。

 それまでも、疋田氏はマドンナやデュラン・デュランなどの大物歌手をスタジオ出演させていた。だが、毎週となればハードルは格段に高くなる。