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2021/12/31

source : 文藝春秋

genre : ライフ, 社会

毎年誕生月には「戸籍受付帳」の開示請求を

 墨田区に情報開示請求も行った。自身の誕生日前後の「戸籍受付帳」の開示を求めたが、出てきたものは個人情報であることを理由として、真っ黒な「ほぼ黒塗り」のものだけだ。それでも諦めず「いつか変わるのではないか」と、毎年誕生月には改めて開示請求を繰り返しているという。

真っ黒な「ほぼ黒塗り」の「戸籍受付帳」

「名簿業者から1件5円で5万人分の『昭和33年4月生まれ』の名簿も買いました。都内近郊、関東に住む方のところには直接伺いました。やはり会って、この顔を見せて、もしかしてそっくりな方はいないかということも含めないと通じませんから。それでも該当する人は見つからなかった。実は結構な割合で、自分の生まれた病院を知らない人が存在することにも気づかされました。

 当時、墨田産院に勤めていたお医者さんを探し当てて訪ねたこともあります。ちょうどそのお医者さんが不在でご家族の方に事情を説明したところ、ご本人に確認して折り返して連絡をしてくれる、と。でも返ってきた答えは、『絶対に当時の話はしたくない。会うこともできない』というものでした。

 情報提供を求める個人サイトを立ち上げ、Facebookに月々の支払いをして僕の年齢層をターゲットに広告依頼もしました」

「この十数年で40人以上の弁護士さんと会いました」

 高裁判決のあと、2年ほどは地道な自力での実親探しが続いていた。

「東京都側の対応は、『損害賠償金で解決済み』であり、『墨田区に情報開示を命じる法的根拠がない』というもので、そこから進展はない。自力では限界があるので、この十数年で40人以上の弁護士さんと会いました。例えば医療過誤に強い先生や、行政に強い先生を調べては連絡して……。弁護士さんに相談するのだってお金はかかります。支払いをして話を聞いていただいて、でもそのすべての先生が『ちょっとこれは難しい』という。

 去年の7月、ようやく『やってみましょう』という弁護士さんと出会えて、改めて都に対して本当の親を調査してもらうべく提訴をすることになったのです」

 

 前回の裁判の折には、江蔵さんは福岡市で暮らし仕事をしていた。だが、実親探しで通う東京で久しぶりに父母の姿を見て、東京に戻ることとなる。

「年相応に老いてきた両親を見て、一緒に住もうと思いました。実際に14歳までは育ててもらったのだから、最低でも14年は親孝行をしようと思って、福岡での商売を畳んで実家に戻りました」

 取り違えられた江蔵さんには、14歳というターニングポイントがあった。

写真=末永裕樹/文藝春秋
後編に続く)

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