幼少期から親戚の集まりで、「おまえは誰にも似ていないな」と言われてきた。生まれてすぐに病院で取り違えられた江蔵智さん(63)は、11月5日、東京都を相手取り「生物学上の親の特定などを求める訴訟」を東京地裁に起こした。顔つきや身体つきだけではなく、その性格についても家族と違いを感じ続けていたという。(全2回の2回目/前編から続く)

江蔵智さん

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家族のなかで自分だけ浮いている違和感

 1958年4月。都立墨田産院(墨田区八広・1988年に閉院)で生まれた江蔵さんが、両親と「親子関係がない」というDNA鑑定の結果を受けとったのは2004年、46歳のときだった。

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「両親との考え方との違い、そして3歳下の弟との考え方の違い。僕はワンパクで親の言うことをきかない子だったので、母のことは随分泣かせたと思いますし父からはよく殴られるほど怒られました。でも弟がそこまで怒られるのは見たことがない。

 小学校高学年の頃から、家族のなかで自分だけ浮いている違和感に耐え切れず、はやく大人になってこの家を出たいと考えていました。家を“捨てた”のは中学2年生の夏休み前です。14歳で実家を出て、住み込みで働かせてくれる場所を探しました」

 焼肉屋での住み込み、クリーニング店の貸おしぼり業、日雇いの建築業や運送関係、そして喫茶店や輸入雑貨店――。自身で商売を立ち上げるまでに、さまざまな職種を経験した。

 

「DNA鑑定で親子関係がないとわかったときには、『僕が14で家を捨てたのはそういうことだったのか』とストンと腑に落ちる部分がありました。家から独立し僕は自由に、好きに生きてきました。

晩年父は、「でもおまえは俺のせがれだから」

 でも、血縁のない僕を14歳まで育てていただいたことを思えば、少なくとも14年以上は恩返しをするべきだと老いてきた両親の顔をみて強くそう思いました。もちろんそれまでまるで会わなかったわけではないですよ、毎月の仕送りなどはそれまでもしていましたから」

 再び両親と暮らしだした江蔵さんだが、父親は5年前に他界した。その後は、母親とふたりで住み江蔵さんが介護をしてきた。

「晩年父は、『おまえが(本当の親を)探す気持ちはわかる。でもおまえは俺のせがれだから』と言ってくれていました。資産があったわけではありませんが、亡くなったときに残されたわずかな保険金はそのままとってあります。僕の弟にとっての実の兄が見つかったときに、『親父の残したものはこれだよ』と伝えたい」