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人生の半分くらいの運を使った『ハイティーン・ブギ』

――その後、「第2回東大生が選ぶアイドルコンテスト‘81」にて優勝。1982年、武田さんが13歳のときに、近藤真彦さん主演の『ハイティーン・ブギ』のヒロイン役に大抜擢されました。役が決まったとき、どう思いましたか。

武田 私は日本一ラッキーなんだろうなって思いました。マッチのファンの方はもちろん、タレントの方も、みんなが憧れていた役に、何の苦労もせずにふっと決まってしまったので。振り返ると、人生の半分くらいの運は使ったのかなって思うぐらいラッキーだったと思います。

「私は日本一ラッキーなんだろうなって思いました」

――しかも、役が決まったのも、突然だったとか。

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武田 オーディションから2カ月くらい経っていたので、ほぼ諦めていたんです。もうないだろうと思って、髪の毛も切っちゃってて。

 そうしたら、携帯も無い時代だったので、当時入っていたエージェントから学校の職員室に電話がきたんです。職員室に呼ばれて電話に出ると、「決まったよ」って。「今から記者会見だ」って言うんですよ。

「学校に30分後には到着するから、それまでにお昼ご飯でも学食で食べておいて」と言われ、制服を着たまま東宝撮影所に向かいました。結髪さんに髪をセットしてもらいましたが、髪の毛は切っちゃっていたから付け毛ですよ。ポニーテールに付け毛。マッチに「久美子かつら」「かつらの久美子」って撮影中もよくからかわれましたけど(笑)。

 あと、本来は東宝映画でしたし、ミス東宝か他の方で決まっていたようです。でも、その方が18歳で、マッチがまだ17歳だった。それくらいの世代だと、女性の方が少し大人に見えてしまうんですね。やっぱり監督としては落差をつけたい。背も小さい子の方がいいし、年下の方がいいというので、私に決まったようです。

 本来は芸名とかゆっくり考えたかったんですが、それが間に合わないくらい、あっという間に記者会見が始まりました。

 

怖いもの知らずだった13歳

――出演者も、たのきんトリオ(近藤真彦、田原俊彦、野村義男)ほか、かなり豪華でしたよね。プレッシャーとか感じましたか?

武田 たぶん17、8歳で決まっていたらプレッシャーも感じていたんでしょうけど。まだ13歳の子どもだったし、ほとんどなかったですね。怖いもの知らずというんですか。オリンピックでも、13歳ぐらいの子が初めてオリンピックに出て、金メダルとったりする心境って何となく分かるんです。もちろん努力もあると思いますよ。でも、18歳でオリンピック2回目の人よりは、プレッシャーはないような。たしか水泳の岩崎恭子さんもそれくらいの年齢でしたし。