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 初舞台を踏んだのは10代の終わりだが、本格的に演劇に開眼したのは20代になって、劇作家・演出家の野田秀樹が主宰するNODA・MAPの公演に、1997年の『キル』以来、あいついで出演したときだった。ちょうど演じるということがわからないと思っていた時期だっただけに、野田との出会いは大きく、《映像では表し得ない舞台ならではの魅力を教えていただけたことで、演じることに対するイマジネーションが確実に広がりました》という(※4)。

映画『博士の愛した数式』(2006年)

 野田作品では舞台を縦横無尽に駆け回ることも多い。ここから深津は表情だけでなく全身を使って演技することを学んでいった。それは『カムカムエヴリバディ』でも活かされている。たとえば、るいが郷里の岡山から大阪に出てきた場面では、ミュージカルのように街行く人たちと一緒に踊ったり、新しい服を買ってはしゃいだりと、希望にあふれる様子を全身で表現していた。このほか、言葉にならない感情を何気ない動きで示すことも少なくない。劇中の深津が少女に扮して違和感がないのは、舞台経験から培われたであろう、そうした演技の賜物といえる。

「自分を女優だと思わないようにしている」

 深津はこれまでの仕事を顧みて、そのときどきで出会いに恵まれてきたということも折に触れて語っている。NODA・MAPへの出演も、そもそもは別の劇団の公演を観に行った際、たまたま野田と初めて会って挨拶したところ、後日、ワークショップに誘われたのがきっかけだった。

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 三谷幸喜の映画や舞台にも何作か出演しているが、それも映画『西遊記』(2006年)に三谷が俳優としてゲスト出演した際、撮影現場で三蔵法師役の深津に話しかけてみたところ、感じがよかったので、当時準備中だった監督作品『ザ・マジックアワー』(2008年)のヒロインに抜擢したという。

映画『ザ・マジックアワー』(2008年)

 このほかにも、映画『博士の愛した数式』(2006年)の出演依頼を受けたのが、奇しくも原作小説を買ったその日だったり、映画『女の子ものがたり』(2009年)のオファーがあったのも、原作マンガを友達に薦められて読んだ直後だったりと、作品との運命的な出会いも何度かあった。

 しかし、そんな出会いはそうしょっちゅうあるものではないだろう。深津はもともと《私の仕事は、一人でできるものではないし、人との関わりから生まれるものなんですね。そのだれか一人が違えば、生まれるものも全然違うものになるかもしれないし》と語るほど(※5)、人との関係を大事にしてきた。それが近年、仕事を絞っていることにもつながっているのではないか。『カムカムエヴリバディ』もじつに13年ぶりの連続ドラマ出演だという。

映画『女の子ものがたり』(2009年)

 いまから6年前のインタビューでは、「深津さんが大事にされていることはどんなことですか」と訊かれ、《なんだろう…自分を女優だと思わずに、人間だと思うようにしている、とかでしょうか。女優だからこうあるべき、みたいなことがないんですよね》と答えている(※6)。

 女優である以前に一人の人間として生きる。その姿勢は、おそらく『カムカムエヴリバディ』で今後、るいが年を重ねていく姿にも反映されるのではないか。実生活のなかで深津が培ってきたものを堪能するという意味でも、これからしばらくテレビに釘づけになる朝が続きそうだ。

※1 「深津絵里 星の王子さまの末裔」(新井敏記『SWITCH STORIES―彼らがいた場所―』新潮文庫、2011年)
※2 『LEE DAYS』Vol.1(2021年4月)
※3 『LEE DAYS』Vol.2(2021年10月)
※4 『an・an』2000年7月28日号
※5 『広告批評』2002年12月号
※6 『an・an』2016年3月2日号