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凄惨なリンチのすえに…大学構内で起きた“殺人事件”「半世紀前、早稲田大学は過激派セクトに暴力支配されていた」

著者は語る 『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(樋田毅 著)

『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(樋田毅 著)文藝春秋

「半世紀前、早稲田大学の文学部キャンパスは過激派セクトの革マル派に暴力支配されていました。あの暗黒の時代の恐ろしさ、今の世界にも通じる危うさを、書き残そうと思いました」

 そう語るのは、元朝日新聞記者でジャーナリストの樋田毅さん。今回、革マル派と闘いつづけた自身の経験を克明に記したルポルタージュ『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』を上梓した。

 早稲田で死んだ「彼」とは、第一文学部2年生だった川口大三郎さん。革マル派によって、敵対していた中核派のスパイという汚名を着せられて文学部自治会室で凄惨なリンチのすえに殺された。当時の学生たちにとっては忘れることができない大事件だった。

「村上春樹さんのベストセラー小説『海辺のカフカ』にも、川口さんがモデルの人物が登場します。この小説の重要なモチーフとなっている不条理な死の象徴として描かれています」

 事件は、樋田さんが第一文学部に入学した1972年の11月8日に起きた。当時、同学部の学生自治会は革マル派の全国最大の拠点だった。文学部キャンパスでは敵対セクトだけでなく、すこしでも異を唱える学生たちへの暴力沙汰が日常化していた。60年代の後半に全国で盛りあがった学生運動が衰退し、その末期的状況として内ゲバが激化。そんな時代の帰結として、川口さん虐殺事件は起きるべくして起きた。

「革マル派は、川口さんが中核派のスパイだと主張するだけで証拠は何も示さなかった。私たちは、見てみぬふりをしていた自責の念とともに、もう許せないと声を上げはじめたのです」

 本書では、大学当局が革マル派と癒着状態にあったことも明らかにされる。

「革マル派の自治会を公認して、その暴力を黙認していた。管理する側にも好都合な面があったからです。元教授が匿名を条件に過去の癒着関係を認めました」

 事件をきっかけに、一般学生らによる数百人から数千人規模の抗議集会が連日開催された。そのまま全学で革マル派自治会のリコール(罷免)へと発展する。文学部キャンパスでの抗議集会の発起人の一人だった樋田さんは、1年生ながら第一文学部新自治会の臨時執行部委員長に就いた。

「とくに文学部では、運動の中心は1年生でした。何も分かっていなかったからできたことでしたね」

 革マル派に対し、樋田さんは寛容と非暴力=ユマニスムで対峙すべきだと訴える。しかし、エスカレートする暴力を前に、仲間内でも武装する者が出てくる。

「革マル派は、党派闘争に暴力行使は必要という“内ゲバの論理”に私たちの仲間を引きずりこもうとしていた。武装すれば彼らの思うつぼだったのです。内ゲバの論理を拒否し、ユマニスムで、人間の尊厳に依拠して闘う。その理屈と思いを分かってほしかった」

樋田毅さん

 運動は翌年も続く。連帯がゆらぐなか、樋田さんも鉄パイプで襲撃される。

「鮮明に覚えています。私が襲われる場面と、私以外の人たちが目前で倒れていく場面。忘れられません」

 襲撃された後も、武装化に反対しながら運動の先頭に立ちつづけた樋田さん。だが、最後には闘いを終える決断をする。本書にはそれまでの記録と考証、革マル派自治会の幹部だった人物との50年越しの「対話」も収められている。

「今の学生にも読んでほしい。世界には現に正義や思想の名のもと自由を圧迫する体制があります。ものすごく大変なことだけれど、それでも寛容と非暴力で闘うべきだと、信じます」

ひだつよし/1952年、愛知県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1978年、朝日新聞社に入社。大阪府警担当、朝日新聞襲撃事件取材班キャップ、和歌山総局長、大阪秘書役などを歴任し、2017年に退社。著書に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』、『最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム』など。

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