反対運動で主導的な役割を担った「日本会議」
同年12月に小泉総理は「皇室典範に関する有識者会議」を設置。皇長子である愛子さまの存在を念頭に、皇室典範の改正を目指した。有識者会議は翌年、「女性、女系天皇を認める。皇位継承は長子優先」とする報告書を提出。これを受けて小泉総理は2006年、国会での施政方針演説で「皇室典範改正案を提出する」と宣言した。
だが、すでに、この流れに抵抗する保守派の政治家、ジャーナリスト、一般国民の一部からは、猛烈な反発が巻き起こっていた。
女帝・女系天皇容認に反対する運動で主導的な役割を担ったのが、神道系の保守系団体として知られる「日本会議」である。当時、日本会議国会議員懇談会会長の地位にあった平沼赳夫氏は、男系男子主義を強く信奉していた。今も、その考えは変わっていないと平沼氏はいう。
「小泉政権で女性、女系天皇容認に傾きましたが、125代(現在は126代)続く天皇の歴史の中で女系天皇はひとりもいない。過去にいた8人の女性天皇はすべて中継ぎ的な役割で、ご結婚もなさらずに、次の男系男子の天皇に位を譲られた。男女同権に反するという考えは、この問題に持ち込むべきとは思わない。ローマ法王も代々男性で、ユダヤ教のラビも男性です」
同じく同会に所属する高市早苗議員も2006年1月27日の衆議院予算委員会で「男系男子で継がれてきたことが天皇の権威の前提。男親から男の子ども、男系男子だから継がれてきた初代天皇のY染色体が女系天皇では途絶してしまう」と述べて、女性女系容認に向けて舵を切った当時の政府の方針を牽制する立場を取った。
なお、男系男子とは父が天皇である男の皇子を言う。父親の父親の父親の……と父方だけをたどっていくと初代神武天皇に行き当たるという。一方、天皇の娘の子孫は父方が天皇ではないため、女系天皇ということになる。過去に女性天皇は江戸時代まで8名おられたが、女系天皇はひとりもいないというのが、保守派の男系男子主義者の主張である。
しかし、保守派の誰もが必ずしも男系男子主義というわけではなく、中には女性・女系天皇支持者もおり、そのため保守派内も分裂し、激しくぶつかり合った。