伊藤が「女帝」と「生前退位」を封じた真の思惑
瀧井教授が語る。
「伊藤は西洋の慣習を意識していましたが、同時にあまりにも国情から離れた憲法を作ったのでは国に定着せず、うまく運用できなくなる、ということもよく理解していた。だから日本の伝統的な考えを代表する井上の意見にも耳を傾け、折れるところは折れている。男系による万世一系こそ日本の伝統という井上の“発見”を聞いて、そのほうが国もまとまるし、日本の歴史を国際社会にアピールできると合理的な判断を下したのだと思います。井上は、伊藤に比べて非常に理詰めでものを考える人で、机に向かって国学や法律を勉強した熊本藩士の秀才です。
伊藤の根本には、皇室が政治化することを避けたいという考えがあり、天皇はシンボル的な存在であることが望ましいと考えていた。つまり伊藤は今日の象徴天皇制を先取りしていたのです。大権を持った、優れた天皇が統治することを理想視した儒教的な徳治主義者の井上とは、そこも大きく違っていました。伊藤自身は法律そのものに興味があったわけではなく、法律をどう運用するか、どう機能させるかを考えていた。伊藤の中には大きな国家ビジョンがあり、井上のことは法律の文言を考えさせるために重用し、ある種、利用した。井上もそれを悟って死ぬ間際、『自分は伊藤のおかげで人生をし損なった』という言葉を残したのでしょう。
伊藤は『世の中のものは全部、変わっていく。万物は流転する』とも言っています。それが彼の人生哲学でした。一方、井上は、『変わってはいけない不動のものがあるはずだ』と考える。非常に対照的なんです。そうした両者の落としどころが、明治の憲法であり、明治の皇室典範だったんです。あの時代にヨーロッパの文明国に仲間入りするためには、男系男子主義を取らざるを得なかったのだと思いますが、今はまた違った局面を迎えているのではないでしょうか。私は伝統というのはいろんな引き出しのある棚だと思っています。井上はあの時代に『男系』という引き出しを引いた。でも、今の時代に井上がいたなら別の引き出しを開けて、そこから理論を体系化するかもしれない」
時代を見据え、その時代の制約の中で、「女帝」と「生前退位」という2つの伝統を伊藤は憲法と皇室典範において封じた。皇統を安定化させるという目的のために。
廃止できなかった側室制度
その一方で、伊藤が廃止したくとも廃止できない伝統もあった。それが側室制度と庶出である。
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ノンフィクション作家の石井妙子氏による「『愛子天皇への道』皇室の危機を考える」の全文は、「文藝春秋」2022年2月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
愛子天皇への道
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