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「この人を救ってやってや」

 以来、大阪府富田林市のグラウンドや寮、甲子園期間中の宿舎にも足を運んだ。驚いたのは、数日後に甲子園初戦を控えた時期に、生徒の練習態度に不満を爆発させて暴力を振るったという噂を聞いた時だった。事実であれば、即座に出場辞退となる事案だ。

 山本はよく言えば熱血漢、悪く言えばスパルタ指導をいとわない監督だった。練習は深夜12時を超えても続くことがあり、感情の赴くままに直情的な言葉を生徒に投げかける。それに応える生徒を可愛がり、ついてこられない生徒には厳しく接する。山本のワンマン体制で、時に行き過ぎる行動を止められる人間が側にいないことは当時から気になっていた。

 あれから6年の月日が流れた。久しぶりに連絡を入れたのは2021年9月だ。山本が2021年3月まで監督を務めていた大阪偕星学園野球部のコーチだった水落が、生徒14人に対する強制性交等致傷の疑いで再逮捕されたタイミングだった。水落の「山本監督からのパワハラでストレスを溜め込んでいた」という主張に対する山本の見解を聞くべく取材を申し込んだ。

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水落雄基

 倉敷高校のすぐ近くにある倉敷マスカットスタジアムが待ち合わせの場所だった。スタジアムの外周を走る生徒を横目に、「メシでも食いにいこう」と誘われた。一度、山本の自宅に寄り、コーチの運転する車で焼き肉店へ向かう。水落も、監督の山本が飲み歩く際に、呼び出されて車を運転することが度々あったと告白している。

 山本は焼き肉店で合流した年輩の男性を筆者に紹介すると、「この人を救ってやってや」と切り出した。不祥事を起こした年輩男性の名誉回復のために記事を書いてくれと言うのだ。とても応じられる話ではなかったのでその場で断り、そして水落に関する取材を始めた。

羽交い絞めし、両腕を掴んでスナックへ

 ところが山本は話をはぐらかしてばかりで、大阪偕星学園高校の教頭ら関係者に責任があるという主張に終始し、「私が監督だったから水落の事件もいち早く解決した」と話した。

 水落の最初の逮捕から1カ月も経っておらず、PTSDに苦しんでいる被害生徒もいる状況で「解決した」と断言する山本の主張に強い違和感を覚えた。水落を大阪偕星学園に招いたのは山本で、水落が生徒へのセクハラ行為を行っていたときの最高責任者が山本だ。学校からの減給・謹慎処分を受けたあと、依願退職したのだから十分に責任を果たしたというような言い分にはとても納得できなかった。そして、被害者や他の球児、保護者に対する謝罪は最後まで出てこなかった。

大阪偕星学園高校時代の練習風景

 焼き肉店を出たところで、これ以上山本の取材を続ける意味を見いだせなかった私は帰路につこうとした。しかし山本は、同席していた倉敷高校の教諭と共に私を羽交い締めにし、両腕を掴んでスナックへと連れ込んでいく。当時は新型コロナのデルタ株が蔓延していたが、彼らはマスクを着用しないままカラオケに興じ、高級シャンパンを何本も空けていた。

 この件以降、私は山本とはっきり距離を置くようになった。