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 そこに本来歯止めをかけるのが、世界的には労働者の権利行使であり、労働運動である。これらの取り組みを通じて、経営者に対抗し、賃金を上げたり、残業時間を規制したりするのだ。しかし、日本の労働者の怒りは、経営者やこうした経済のあり方に向かわなかった。その代わりに猛威を奮っているのが、職場いじめだ。労働者が職場ストレスの発散先として、部下や同僚に鬱憤をぶつけるのである。特にその標的となるのは、身体的・精神的に、あるいは道義的に、過酷な労働についていけない人たちだ。業務過多な職場において「足を引っ張る厄介者」に対するいじめは、彼らを職場に適応するように「矯正」し、それができないなら「排除」し、さらに同僚たちへの「見せしめ」にするという効果をもたらしてきた。

 このいじめという「自発的」な統治のシステムによって、労働者は不満の矛先を経営者や労働環境に向けなくなり、どれだけ理不尽でも受け入れて働くように「しつけられて」いく。筆者はこれを「経営服従型いじめ」と呼んでいる。

なぜケア業界でいじめが多いのか

 医療・福祉、なかでも介護・保育業界は、労働者を使い潰す資本主義のあり方をもっとも象徴していると言って良いのではないだろうか。90年代まで、介護や保育は、行政や非営利団体による限定的な福祉と、女性に押し付けられた家事労働によって成り立っていた。しかし、介護・保育は新たな「成長分野」として国策に位置づけられ、2000年代以降は市場に開放され、利益優先の民間企業が参入しやすいよう規制緩和が繰り返された。その結果、介護・保育を中心とする福祉業界の労働者数は、約150万人(2002年)から約450万人(2020年)へと飛躍的に増加している。

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 しかし、福祉の市場化による「経済成長」は、大きな矛盾を伴うことになった。というのも、ケアはその性質上、利益追求と相反するものだからだ。本当にケアを重視するのであれば、相手に対して時間をかけ、必要なケアを丁寧に行っていくことが必要となる。

 だが、利益追求を優先すると、それどころではなくなる。まず、かなり低い賃金(こうしたケア労働は女性が「無償」で負担させられていたことから、ただでさえ評価が不当に低く、賃金水準も劣悪だ)で、職員数を限界まで少なく抑え、一方で利用者やサービスを目一杯詰め込む。そしてタスクを粛々とこなし、話にろくに耳を貸さず、ひどい場合は怒鳴りつけるなどして、利用者を「コスパ」よく管理することこそが、望ましい「ケア」になっていく。それに伴い、現場に予算がろくに回されず、必要な備品も利用者や労働者の負担にするなどして、経費を切り詰める手法も珍しくない。

 こうして、ケアの最低限の質すら保てなくなっていく。筆者たちの団体のもとには、過密労働によってトイレ休憩すら取れずに心身を壊したという労働相談や、利用者一人一人へのサービスが手薄になり、重大事故の危険や虐待が横行しているにもかかわらず、施設長や本社が苦情を放置するという相談が多い。「私は、会社のお金儲けのためにこの仕事を選んだんじゃないんです」という労働者の悲痛な声が、後を絶たない。