喧嘩の内容はありふれたものだろう。どの家庭にだって起こりえることだ。父親との関係が強烈に悪いようには見えない。白石自身もごく普通の高校生であったような印象を受けた。
愛情に恵まれた
父親との仲が悪かったことを話す白石だが、ほかの家族との関係はどうだったのだろうか。母親と妹は、白石が高校卒業後、離婚がきっかけで実家を出ているが、それまではどうだったのか気になった。
「父と母と妹の4人家族でした。母はとても優しく料理が上手なほうでした」
もう少し、母親と妹との関係について掘り下げてみる。
「親からの愛情という意味では恵まれたと思います。今思い出せるエピソードで言えば、歯の矯正をしてくれましたし、視力矯正で病院に通わせてくれました。愛情は感じていました。お母さんの料理も美味しかったです。虐待やいじめもありませんでした。
妹とは、普通がどういうものか分かりません。妹は幼い頃は遊んでいましたが、だんだん疎遠になっていきました。思春期になると、ほとんど顔を合わせませんでした。接点はありませんでした。でも兄妹ってそんなものじゃないですか?」
白石は母親のすすめで、塾にも通っていた。これが携帯電話を持つきっかけになる。
「(通っていたのは)中学校1、2年生のときですね。地域密着型の総合進学塾に行きました。自分で選んで行ったわけではなく、親に言われてなんとなく……。ほかの習い事はしていません」
白石の話から見える家族像は、やはり特に変わったものではない。気になるのは、拘置所に収監されてから家族が一度も面会に来ていないこと。手紙のやりとりもないようだった。
ここから話を変えて高校卒業後の白石についても質問をぶつけてみた。白石は卒業後にスーパーに就職している。
「卒業してから就職して、横浜市戸塚区に住むことになりました。給料の手取りは14万円だったと思います。この頃、パチンコやスロットにはまってしまい、お金が足りませんでした。求人情報誌を見ていたら、手取り20万円の仕事が載っていて、“いいな”と思った記憶があります。仕事を辞めた後は、実家に戻りました。その後、座間市内で1人暮らしをしました。そして、池袋に住みました。そして、実家に戻り、そして、(現場の)アパートになります」
職場を転々としながら、生活は実家と1人暮らしの繰り返し。話を聞いていると、ここでも、なかなか事件を連想するような価値観を揺るがす出来事は感じられない。そのため、人生のどの時点に戻りたいと思うのか、質問すると、迷わず白石は答えた。