「週刊文春」で連載中のマンガコラムを2年分収録した『今日もマンガを読んでいる』(文藝春秋)を上梓した宇垣美里さん。
連載の第10回(2019年10月24日号)では、巨人が支配する世界で生きる人類の激闘を描いた大ヒット作『進撃の巨人』(諫山創 著、講談社)を紹介。〈調査兵団〉に所属する女性兵士が口にした何気ないセリフと、その回想シーンの「コマの大きさの差」に着目して登場人物たちの心情を読み解きました。そこから浮かびあがるのは――。
『今日もマンガを読んでいる』より一部抜粋して、特別に公開します(前後編の前編/後編を読む)。
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自由とは、ここまでの代償を支払わなければ手に入らないものなのか。妹を犬に殺され、母を巨人に食われ、仲間を地獄に導いて、拷問ですべての指を失って。それでも家畜として生きる安寧より、血みどろになって勝ち取った自由を尊いとするなら、私が手にしているこれは一体何なんだ。
『進撃の巨人』を知らぬ人はもはやいないだろう。そこは人間を捕食する巨人が支配する世界。餌と化した人類は高い壁を築き、自由と引き換えに巨人の侵略を防いでいた。
興味を持つことさえ禁じられた外の世界に憧れを抱き育った主人公のエレン。巨人に母を殺され、憎しみの炎を胸に、壁外に遠征して外界の調査を行う〈調査兵団〉へ入団し、巨人化できる能力を武器に自由をかけた闘いに身を投じることとなる。
戦いの中で育まれる「友情」
最初は、人智を超えた、ある種の天災のような存在である巨人と戦うサバイバルホラーだと思っていた。ところが話が進むにつれ、巨人の正体と世界の成り立ちが明らかになる。
壁の外にも人類は存在していて、そこでは民族紛争が繰り返されていたのだ。戦争と出自への差別、その状況から抜け出すために軍隊に入るという、現実の世界で今もなお続く人間の狡(ずる)さと悪意そのものが描かれていた。
この物語に救いはなく、どんどん地獄が深まっていくけれど、時折挿入されるエレンの中二病いじりや馬鹿馬鹿しいおふざけに毎度笑ってしまう。
重要な秘密が隠されているエレンの生家を巨人が破壊する場面では、仲間が「エレンの家ぇぇがああああ」と叫んでいてけらけら笑ってしまった(エレンの苗字はイェーガー)。笑っている場合じゃないのに。
彼らは戦の中でも成長し、友情を育み、恋をして、生きている。