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「薄命に散ったお父さん、私の不孝だったのをお許し下さい」作家・田辺聖子が、父の死後に送った“言葉”

『田辺聖子 十八歳の日の記録』より#4

2022/01/27

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 読書

note

 この頃の食糧事情を知らぬわけでもあるまいに、よそから来た叔母2人に「遠慮なしにどんどん食べや」といい、宗雄兄さんに配給の酒をあげたのに、「あの子は一膳もご飯たべなんだ」と大きな声でいう。実に実にま抜けた人である。祖母の籍は服部にあるのだから、私の家ではもう1月分の米を出して食べさせているのに、一体なんと思っているのだろう(※この日、田辺の父・貫一は亡くなりました)。

二度と再び小説を書き得ないかもしれない

昭和21年1月11日 金曜日

 あらゆる現実の体験は、人間の頭脳を、その劇(はげ)しさによってうちくだく。

2月5日 火曜日

 短歌会のプリントを刷るのに、伊東さんらは授業を休んでまでしている。私はそうしたくない。さぞ役立たずの文芸委員だと思っていようけれど。

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 近頃は勉強も忙しいし、その他課外でもすることがたくさんあって生き甲斐を感じる。昨日は中村先生から「ヘレニズムとヘブライズム」つまり霊と肉との理想的一致の世界について文化講座があった。金曜になれば短歌会が行われる。来週には、俳句を提出せねばならない。27日は文芸会である……。

©iStock.com

 しかし女学校のころ私が持っていた、あの昂然たる誇りはどこへ行ったのか。私はすがりつく文才もなく、画才もなく、あとに残ったのは、つまらぬ一個の文学好きの少女にすぎない。私は私の運命に対して、ただ黙々と、勉強に励むにすぎない。小説の嵐は父の死以来再び私を訪れてくれない。

 私は二度と再び小説を書き得ないかもしれない。憂鬱な日々だ。空はときどき曇って雨がしめる。今夜はもう11時。漢文をやらねばならぬ。

 永久に――永久に私に、あの輝かしいインスピレーションは訪れないのであろうか?

 私は不安になって辺りを見回す。人に優越した一点を抱いていない私は、うす汚れた孔雀(くじゃく)よりもみじめだ。私は寂しい。ユーウツだ。

充実した生活を願う

2月6日 水曜日

 相変らず薄曇り。空は低くたれて、もやもやした空気は冷たく頬に当る。それに風がきつい。闇市は繁昌している。至る所、道であろうが敷石であろうが、かまわず商品を蓆(むしろ)の上へひろげる虱(しらみ)みたいな闇商人。サーカスがかかり、淫蕩(いんとう)な目つきの女が丸太で組んだたまり場の上から、通行人に秋波をなげる。ゾロゾロと出入する朝鮮人、埃っぽい蒸し芋を手にした鼻たれ小僧、野卑な音楽、息詰まる濁った空気――鶴橋の光景だ。ここから悪が生れる。闇市こそは悪の温床だ。しかし闇市には何でもある。――それこそ何でも。闇市なくして栄養のことは考えられないだろう。