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「薄命に散ったお父さん、私の不孝だったのをお許し下さい」作家・田辺聖子が、父の死後に送った“言葉”

『田辺聖子 十八歳の日の記録』より#4

2022/01/27

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 読書

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「おっさんみたいで喫驚(びっくり)した」

 とあとで母はくすくす笑っていた。甚(はなは)だ風采のあがらない先生だからである。尼中(※兵庫県立尼崎中学校。現・尼崎高等学校)へ行っている、中学3年の子がある先生は、弟の姿をみると、喜ばしそうに目を細めて眺めて、とみこうみ(※「左見右見(とみこうみ)」。あちらを見たりこちらを見たりすること)していた。

 先輩の須藤さんからまた手紙くる。妹の国語教師だ。借してくれと頼んだ俳文の書物はだめだと言う。そして色々な本を返してほしいと私に頼んで来られたが、誰に貸したのか分からぬそうであるからじつに困ってしまう。

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劇は好きだが、脚本製作も

 今もっぱら力を入れているのは、漢文である。しかし重大と思っているのは、教育と倫理、これが心配。明日は教育があるが、この学科は皆の評判が甚だよくない。教授ぶりの低劣さ、なんとも以て苦々しい。劇「頼朝の死」(※当時よく上演されていた歌舞伎の演目)は、もうよく出来ているが、何か我々は除(の)け者の感じだ。私も劇は好きだが、脚本製作の方へむしろ私は伸びたい。日本書紀を研究して、古代思想と仏教思想との葛藤を描いた戯曲を書いてみたい。

 私はこの頃、修養に心がけて、決して怒らぬ少女になろうと思っている。今日はまず一日怒らなかった。孟子の教えも何もかも、心に受け入れて。もう私も19。青春何ぞ一日も妄(みだ)りに過し得んや。何事もまず人格の裏付けがなくては軽薄になると思って、人格を作りあげるのに努力している。

田辺家所蔵/撮影:文藝春秋

血の滲む、魂の記録

 私の性格の欠点を考えてみると、怒りっぽいことにある。そこで、怒らないように、つとめて優しくし、ついには、その優しさが本来、生来のものとなるまで漕ぎつける。その次は明朗になることに努めるつもりだ。

 私は念仏のように、怒るまい、怒るまい、と心にくりかえす。私は至らぬ人間であるが、塵(ちり)も積もれば山となる。いつかはこの努力も、あらわれてくる時があろう。

 理想の人格の境地を仰いで、孜々(しし)として、峻険をよじのぼる登山者の意気込みで私は毎日を送る。もうこの日記も、いつわりや飾りは書かぬ。ありのままの記録だ。血の滲(にじ)む、魂の記録だ。

田辺聖子 十八歳の日の記録

田辺 聖子

文藝春秋

2021年12月3日 発売

「薄命に散ったお父さん、私の不孝だったのをお許し下さい」作家・田辺聖子が、父の死後に送った“言葉”

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