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2022/01/22

――書評などではみなさんネタバレを避けたんだと思います。ここでは少し踏み込んだお話もおうかがいしたいです。そもそも、日本の時代小説を書くのははじめてですよね。

米澤 時代を舞台にした短い幻想小説はいくつかありますが、長篇ははじめてです。ただ、ずっと書いてきたことをまた書いたという面もあって。自分はこれまでも、集団と個、そのぶつかり合いとしての争い、場合によっては戦争を書いてきているんです。『氷菓』でも『さよなら妖精』でも『王とサーカス』でも、個が押しつぶされる瞬間としての争いを書いてきた。ただ、これまでは争いの周辺を書いてきましたが、今回はその中心を書きました。

 自分の中ではテーマとミステリーは別々に浮かんでくるのですが、ミステリーの面は編集者との雑談で出た黒田官兵衛の安楽椅子探偵もので、それとは別に、今回のテーマは、実はずっと書いてきた集団と個というものでした。

©文藝春秋

――編集者との雑談というのは前にお聞きしました。ある時なんの気もなしに「地下牢に閉じ込められた黒田官兵衛を安楽椅子探偵にしたミステリーを書いてみたい」と話したら、「米澤さんの小説は倫理観に特徴がある。籠城という閉鎖空間で描くとそれが際立つと思う」と執筆を促され、連載が始まったそうですね。

米澤 実は何度聞いてもその時編集者さんが何をおっしゃっているのか分からなかったんですよね(笑)。「倫理観に特徴がある」と言われても、別に私は赤信号を渡るのが好きとかいう人間ではないですし……。

「個」を体現する、牢の中の黒田官兵衛

――(笑)。これまでの作品でも倫理観を問うことが多かったのに、ご自身では意識されていなかったんですか?

米澤 あんまりないですね。倫理だと思ったことがないんです。ただ、「倫理」ではなく「哲学」だったら分かるかもしれない。「哲学的意味がありますか?」というのは『さよなら妖精』で使った台詞ですし。哲学といっても、何が自分の中で正しいと思えるのか、何を何故自分の中で柱とするのかというぐらいの意味です。それを書いてきたという意識は、たしかにあります。だから小説の中でフィロソフィーを書くところに作家としての特性があるのだと言われると、それはもしかしたらそうかもしれないと。

©文藝春秋

――『黒牢城』は確かに、人々が何を正しいと思い、何を柱としているかで状況が揺れ動く話でもある。そのなかで村重と官兵衛の対峙にはどんなイメージがありましたか。

米澤 さっきの個と集団という話に言葉を言い換えると、官兵衛というのは黒田家の長ですが、牢の中では個である。村重は荒木家という集団の長であり、集団を体現しているような人間である。実は『黒牢城』という小説の中で、村重はほとんど個としての判断をしてないんですよね。ずっと組織の力学でしかものを語らない、考えない。彼が唯一個で動くのは茶壷についてくらいで、他はずっと組織の論理で動いている。その集団の論理の体現者たる村重を、官兵衛が個の論理で討つというのが小説のクライマックスであってほしかったんです。ただ、それでは村重がただの道化になる。そうではなく、官兵衛と対等の、集団の論理を体現するに足る人物として描き切ることができるのかという点は、わりと最後まで悩みました。

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