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――悩みが解けたきっかけは何だったんですか。

米澤 いろいろありますが、これで書けるのではないかと思ったのは「黒田官兵衛遺訓」という資料に出会った時ですね。官兵衛が「最も恐るべき」ものについて遺訓を残していますが、これは集団の側の人しか言えない言葉です。であれば、それを官兵衛に教えるのは村重にしよう、と。ずっと個の論理でしか動いていなかった官兵衛が、ずっと集団の論理でしか動いていなかった村重から、集団の論理の要諦を受け取って牢から出て、集団の長へと戻っていく。その時に、村重の言葉というのが彼の胸に残っているのなら、きっと村重というのは、ただやられて消えていくだけの道化にはならないだろう。そういう思いがありました。

©文藝春秋

「戦うことが救いへの道」という矛盾

――遺訓の資料を見つけたから書き上げることができたといってよいわけですね。

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米澤 もうひとつ、資料との出会いがありました。終盤に、とある人物の語る論理が出てきますが、あれはキリスト教で言うところの予定説に近い。ざっくりいうと、善行を積んだ人が救われるというわけじゃなく、神は救う人を決めているというのが予定説の考え方ですよね。実は当時の日本にも、仏は最初から全部救っているんだという思想があった。「日々生きていくだけで必死なのに、善行なんて積んでいられない」という人たちも救う思想があったにもかかわらず、現実はそれと矛盾していた。

――冒頭から「進めば極楽、退かば地獄」という言葉が出てきますよね。戦うことこそが救いへの道だと説いている。

米澤 まさに。この矛盾が小説の柱ではあったんだけれども、ここを現在の目から打ち抜くのは、やはり現代人の思い上がりではないかという迷いがありました。だけれど、細かく当時の資料を見ていく中で、当時の人がやっぱりこれはおかしいんじゃないかと批判している言葉があった。それを見つけて、では、小説で書いてもいいだろうと決心がつきました。

©文藝春秋

――その矛盾がじわじわ浮かび上がってくる。先走ってないんですよね。雪密室やアリバイ崩しといった謎のなかで、当時の人々の生活や決まり事が丁寧に描かれるからこそ、終盤に浮かび上がるその矛盾が沁みるんです。それを初の時代ものの長篇で書いてしまうとは。

米澤 時代小説のことは何も分からないので、本当に一から調べ直しでした。語尾は「ござる」でいいのかとか(笑)。「黒幕」という言葉の語源が歌舞伎だったら戦国時代には使えないな、牢屋はそもそもあったのかな、などと、一つ一つ調べていきました。