行きたくないと言えば、警察を辞めるしかなかった
日本人なら自白させるため、被疑者の人情や罪悪感、家族への思いなどに訴えるだろうが、イラン人の心を動かしたのは彼らの宗教心だ。罪を恥じるという心情に訴え、自供は自分が犯した罪を悔い改め、被害者への謝罪は神に許されるチャンスと捉えたのだろうと元捜査員は振り返る。
取調べでは、彼らの母国語であるペルシャ語か英語が使われた。イラン人には日常会話程度の英語を話せる者も多く、英語での取調べもよく行われていた。しかし、現場の捜査員の中には英語が話せない者もいたようだ。
「国際捜査課に行けと言われた時は、正直断ろうと思った」
設置されたばかりの国際捜査課に配属されたという元刑事は、かつてを振りかえってそう語る。
現在、外国人犯罪を担当する捜査官は「国際犯罪捜査官」なる名称で募集が行われているが、当時は「行きたくないと言えば、警察を辞めるしかなかった。それまで外国人の犯罪を担当したことなどほとんどなく、英語すらよくわからなかった」と笑った。外国人犯罪の中でも大きな事件や社会的に影響のある事件、連続性のある犯行を担当するため、国際捜査課では現場の捜査が行える実働班がつくられたのだ。
外国に行ったことがない捜査員は半数以上
「ある日の会議で現場を担当する捜査員が大勢集められ、課長がみんなにこう聞いた。『パスポートを持っていない、外国に行ったことがないものは手を上げろ』とね」(同前)
数十人が集まった会議室の中、手を挙げたのは驚くことに半数以上。元刑事もその中の1人だった。
「今では笑い話だが、これには課長もびっくりしたようだ。すぐさま海外に行ったことがない連中を数人ずつまとめ、近場のアジア圏に出張させた。弾丸ツアーだ」
現場担当の捜査員たちに、犯罪者の意識や行動が他国とどう違うのかを現地で認識させようとしたのだろう。元刑事はフィリピンに視察に行き、米軍基地など一般では入れない場所も見て回った。
「驚いたのは、マニラのスーパーの入り口にショットガンを構えたガードマンが立っていたことだ。ショットガンだ。警察にいる我々だって手にするものではない。ホテルには爆薬を探知するための爆薬犬もいた。ガイドには『一人で夜、外を歩いたら、明日の朝にはマニラ湾に浮かぶ』と脅されるし、犯罪に関して外国人は日本人と違う感覚を持っていると実感したね」(同前)