東京都の人口動態に異変が生じている。先ごろ発表になった総務省住民基本台帳人口移動報告が話題になっている。

 報告によれば、2021年の東京都では、人口の社会増減を指す、社会増減数が年間で5,433人の転入超に留まり、東京都区部に限れば、1万4828人の社会減、つまり転出超になったという。コロナ前の2019年の東京は8万2982人の社会増であったことを考えると、東京都の人口動態には明らかに異変が起こっていると言えよう。

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実は「転出超」の状態が続いていた70年代〜95年頃

 だが、ともすると東京はずっと地方や近郊から人を吸収し続けているように考えがちだが、実態は異なる。過去から現在までの人口動態を追っていくと、1970年代から95年頃までは東京都の人口は社会減、転出超の状態が続いていた。この間、東京は急速に経済成長を続け、都心を中心に地価が高騰、多くの人たちが住んでいた土地を売却して、郊外に散っていった。当時は都内の土地を売却して近郊に買い替えると税制上の特例もあり、都心部の土地を売り払って、郊外に豪邸を建てる人たちが続出した。

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 この頃東京の人口を支えていたのは人口の自然増(出生数−死亡数)であった。若い男女が多く移り住んだ東京では、70年代では毎年10万人台の自然増の状態にあった。80年代でも年間で5万人から8万人程度、95年でさえも1万8千人の自然増を記録している。

バブル崩壊後「共働き世帯」急増で多くの人が東京へ

 平成バブルが崩壊して日本経済が長く暗いトンネルに入り始めた95年以降は、東京に人が集まるようになる。都心の地価が下がったこともあるが、日本人のライフスタイルがこの頃から大きく変容したことによるものが大きい。共働き世帯の急増だ。それまでは多くの家庭で、専業主婦世帯があたりまえ。結婚をすれば、女性が仕事を辞めて家庭に入るのが通常であったものが、夫婦ともに働き続ける共働き世帯の数が専業主婦世帯のそれを上回りだすのが95年前後である。男女雇用機会均等法が改正され、男女分け隔てなく勤務できる環境が整ったこともこの流れを後押しした。

 共働き世帯になり、子供を持つようになれば、夫婦とも勤務する会社にアクセスしやすい場所でなければ住宅を持つことは難しい。会社まで片道1時間半もかかるような都市部郊外では、どちらが保育所に子供を迎えに行くのか、満員電車に子供を乗せて通勤は嫌だ、ということになる。必然、東京に住みたいという願望は強くなり、東京へ、東京へと多くの人が向かうことになったのだ。

 そしてこうした動きをバックアップしたのが大都市法改正である。この改正によって都心部にあった工業地域などでは容積率が従来の2倍、3倍になり、円高を嫌気してアジアに移転した工場の跡地などにタワマンが林立することになる。タワマンをはじめとした東京都心再開発は東京一極集中の大いなる受け皿となっていったのだ。