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「歌えなくなることだけは避けたい」「喉や声帯にメスは入れたくない」…がん宣告を受けた忌野清志郎が死の直前まで貫いた“ロックンローラー”としての誇り

『人間晩年図巻 2008-11年3月11日』より #2

2022/02/10
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「ながぁーい思春期が終わった」

 この88年、長いつきあいだった女性と正式に結婚した。彼女の妊娠を知らされたからである。清志郎は37歳であった。

「子どもができたら、ロックなんかできない」と思い詰めた彼は、これが最後と、1ヵ月間毎日スタジオに通って40曲もつくった。過激な曲ばかりになった。

 ところが、子どもが生まれてからも、曲はバンバンできた。意外でしたね。むしろ子どもができたことで、「別に、かっこいい反骨のロックを歌わなくてもいい。何を歌ってもいいんだ」って開き直った。それが結果的に「パパの歌」みたいな曲にもつながったんです

 

 実は僕は大人になっても、すごくシャイだったんですよ。人づきあいも苦手で。近所の人なんかとは価値観が違うと思い込んでいたから、心底嫌っていましたね。今で言う“引きこもり”みたいなものかって? うーん、まあそんな感じ

 

 ところが長男が生まれた途端、世界観が変わった。もううれしくて、うれしくて、取り上げてくれた病院の先生や看護婦さんと自然と話ができたんです。近所の人とも、きちんと“ご挨拶”できるようになったし、親戚づきあいも平気になって、今じゃ集まりの中心人物(笑)。いやぁ不思議ですね。親になったことで、ながぁーい思春期が終わったような

 

(「婦人公論」2000年10月7日号)

 99年のアルバム『冬の十字架』のジャケットに国立の生家での写真を使ったのには、養父母への感謝のほかに、騒音で迷惑をかけた近所への罪滅ぼしの意図があった。

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 清志郎がシャウトしたパンクロック版「君が代」の入ったその『冬の十字架』は、右翼の過剰反応を恐れたポリドールが発売を見合せたので、清志郎が自ら設立したインディーズ・レーベルで発売した。すると国内外の取材が殺到した。翌2000年のアルバム、選挙を主題とした「目覚まし時計は歌う」の入った『夏の十字架』はもともとインディーズ・レーベルだったが、ライブハウスの内幕を暴露した曲が問題視され、これも発売中止となった。