「どこかに今の自分とは違う本当の自分がいる」と日記
意外な結果が出たのが過去志向でした。下表にあるように、「自分がどんな人間か分からない」、「どこかに今の自分とは違う本当の自分がいる」、「今のままの自分ではよくない」、「自分にはうわべだけの演技をしている部分がある」といった傾向が他の志向に比べて突出して強く出ています。
自分自身に対するこうした揺らぎは、他人への態度と表裏一体のもののようです。下の表をみてわかるように、過去志向は人の目を意識する傾向がかなり強く、他人から離れると孤独を感じる傾向も突出して強く出ています。
未来志向に関する傾向をみたとき、それが一般的な手帳の使い方とシンクロするところがありそうだ、という話をしました。では、過去志向をもつ人が、いまみてきたような自分自身に揺らぎがあること、また他人を気にしすぎてしまうことは、日記の使い方と何かしらシンクロするのでしょうか。
日記が役に立つときとは、どんなときか?
ここで言いたいのは、過去を向いている人、あるいは日記や過去を意識して手帳を使っている人がネガティブだというような話ではありません。むしろ逆に、自分自身に揺らぎがあり、他人のことを気にしてしまうようなときにこそ日記が役に立つのではないか、ということです。つまり、自分自身を過去から現在に向けてまとめ直し、他人ではなく自分自身のうちに軸を作り、自らを充実させていくような効用が日記(あるいは過去を意識して手帳を使うこと)にはあると思うのです。私自身、将来の生き方も日々の生き方もままならず、あれこれ失敗を繰り返していた10代の頃に日記をつけていた記憶がありますが、今振り返るとそのような営みだったような気がします。
このように、日記や手帳というアイテムはさまざまなかたちで個々人の状況や価値観と結びついているものです。このエッセイを読んでいただいた皆さん自身にとって、日記と手帳は、それぞれどんな意味を持つものでしょうか?