深圳の「民主化特区」論など一時は民主化路線に傾く可能性もあった
――胡錦濤政権時代の末期(~2012年)、中国では先進都市の深圳を「民主化特区」にする論が出るなど、民主化が一定程度模索されたことがあります。習近平時代になり中国の政治は大幅に保守化しましたが、保守化の振れ幅がこれだけ大きいならば、反面として開明・リベラル化への振れ幅も、潜在的には同じくらい大きいかと思います。
顔 その通りです。「民主化特区」の議論や新公民運動は、現在の習近平体制の中国では考えられないような話ですが、つい5年前まではそれらを表立って議論できましたし、体制内にも賛同する人たちがいたわけですから。
――中国は新しい政策をやりたいときに、対象を狭い範囲に区切ってちょっとだけ試す「試点」という手をよく使います。たとえば深圳の経済特区も、もとは1970年代末に中国が市場経済を導入する際に試しにやってみた場所でした。
体制内の一部に後ろ盾を持っていた新公民運動も、当時の当局の新政策の観測気球という側面があったのではないですか? つまり、当局が政治改革をおこなう「試点」としておこなわれた行動だったのだろうと想像しているんですが。
顔 新公民運動はあなたにはそう見えたわけですか(笑)。客観的に言えば、その見立てはほぼ間違っていないと思います。「試点」というか「試探」ですね。当時の中国の国内政治において、ある政策の可能性を模索する側面があったのは確かです。胡錦濤の政治的立場は、やや中道右派寄りでしたが、さらに右に位置するのが新公民運動だったんです。
――ええと、「右」「左」と言うと日本の読者は混乱すると思います。中国は共産党が統治する左翼国家なので、保守派が「左」で民主化を求めるリベラル勢力が「右」なんですよね。ちょっとイラストを描いて説明していただけませんか?
顔 いいですよ。私の理解にもとづくものですが、こうなります。ちなみにこれは経済的な立場の左右(左が統制経済で右が自由経済)ではなくて、あくまでも政治的な立場の左右です。党による国家や国民への統制をどこまで容認するかという問題です。
――おおお。わかりやすい。今年7月に死去した劉暁波(2010年ノーベル平和賞受賞者)は、図に落とし込むとかなり穏健派なのがわかりますね。というか、顔さんたちの新公民運動も穏健な体制内運動という評価がなされがちでしたが、劉暁波より急進的という自己評価なんですか。
顔 だって、劉暁波さんは「私に敵はいない」って言っていたでしょう? でも、われわれ(=新公民運動)には敵がいた(笑)。腐敗官僚の財産公開を求めていたんですから。
――なるほど(笑)。
20年後の変革はあるか?
――日本では「改革派」みたいに言及されがちな共青団ですが、実は思い切り中道の集まりなのも興味深いですね。
顔 そうなんですよ。いっぽうで現在の常務委員(党の最高指導部)だと、汪洋や王滬寧あたりは上記の図では中道右派だと思います。
――汪洋と王滬寧、どっちも実権がなさそうなのがアレですが。
顔 ですね。彼らによる改革は期待できないでしょう。
――顔さんの出身母体でもある「草の根官僚」層についても、もうすこし教えてください。
顔 草の根官僚はおおむね5~6割は中道右派、すなわちリベラル派です。彼らは社会主義市場経済の導入以降に成人した人が多いですし。かつ、天安門事件の記憶がある40代の人たちは、中国の保守化の怖さも知っていますしね。中国の政治改革は短期的にはあまり期待できないのですが、あえて未来への期待をつなぐならばこの層からはじまると思っています。
――彼らが指導者になる時代が来れば……ですね。もっとも、指導者になる頃には「老害化」して、やっぱり保守的になっているかもしれませんが。
顔 習近平の退陣後に注目したいところです。習近平が辞めて10~15年後、改革世代がトップになる時代が来れば、中国の政治改革がおこなわれるかもしれません。もっとも、習近平が従来の党内のルール通り(トップの任期は2期10年)に、ちゃんと5年後に辞めてくれることが前提の話になってしまうのですけれど。
※後篇「元中国共産党エリートが語る『日本人が中国予測を間違える理由』」に続く。本記事に登場した顔伯鈞の驚天動地の逃亡記はこちら↓