1964年(90分)/KADOKAWA/3080円(税込)

 井上昭監督が亡くなった。現役最年長の九十三歳。約三十年ぶりとなる新作映画の公開を直前にしてのことだった。

 井上監督は大映で活躍していた若手時代から、CS放送用のオリジナル時代劇を撮っていた晩年に至るまで、一貫して映像美にこだわり抜く監督だった。人間の哀しさや寂しさを切り取る、優しくも儚いリリカルなタッチの淡い水彩画のような画(え)を得意とする一方で、「これはどこからどう撮ったのか」とパッと見では分からないような、前衛的でトリッキーな画もところどころに挟み込んでいった。

 予算やスケジュールが年々厳しくなり、どうしても効率重視のために平板な画になりがちな近年のテレビドラマにおいてもその美意識は貫かれていて、テレビ、特に時代劇の映像クオリティを維持する上で重要な存在だった。

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 今から約二十年前、大学院生だった筆者が初めて取材した撮影現場が、井上監督の組だった。テレビシリーズであっても一切の妥協なくこだわりを押し通す井上監督、その想いを確かな技術で支えるスタッフたち。彼らのクリエイティビティに惹かれたことが、「時代劇研究家」の原点だった。

 今回取り上げる『勝負は夜つけろ』は、井上監督が「一番の自信作」と語る作品だ。

 カメラマンが井上の盟友でもある森田富士郎なのもあり、その美意識が存分に発揮されている。冒頭のタイトルバックからして、反射光を受けて煌めく田宮二郎・川津祐介のアップと背景の海面――という映像にジャズが流れる。それは井上・森田が影響を強く受けていたフランスのヌーベルバーグそのものだ。その後も、極端に誇張したモノクロの陰影、会話する人間をあえて正面ではなく画面の隅に配置する構図、スラム街を目まぐるしく動く手持ちカメラ――どのカット一つを切り取っても徹底して「オーソドックスな画」はなく、一秒たりとも油断できない。

 このこだわり抜かれた映像が、港湾を舞台に大金を巡って欲望と裏切りが激しく錯綜しながら展開するハードボイルドな物語と見事にマッチ。ここは日本ではなくどこかしら欧米のオシャレな街なのではないか――と思わせる、スタイリッシュな空間が映し出される。そのため、小沢栄太郎、須賀不二男といった普段は「ザ・日本人」的な泥臭さの強い悪役たちですら、ノワール映画に出てくるフランス人俳優のように見えてきた。

 こうした凝った映像を作るには、時間もかかるし、それだけに体力もいる。それを井上昭は九十歳を超え、しかも現場が貧しくなる中でもなお貫き切ったのだ。天晴(あっぱ)れな監督人生だったと思いたい。

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