――野村さんは子どものときから淡々と仕事をこなすことができたんですね。
野村 それが当たり前だと思ってたんです。だから、その時にまったく違う反応の妹を見たことで、「自分はこの仕事に向いているのかもしれない」と感じたのかもしれません。
『ちゃお』の小学校卒業記念企画でサイパンロケに
――モデルのお仕事はいつ頃始めたのですか。
野村 私が3歳の時、母親が友人に誘われて、軽い気持ちでモデルクラブに入ったみたいです。娘たちが撮影している間に母たちも集まっておしゃべりを楽しむ、みたいな感じでした。
――お母さんたちのコミュニケーションの場でもあったんですね。
野村 それと当時はまだバブルの名残があって、スタッフが母たちも含めて撮影後に六本木のカラオケに連れてってくれたり、仕事も兼ねてでしたが、レギュラーで出ていた漫画雑誌『ちゃお』が小学校卒業記念でサイパンロケに連れて行ってくれたりして。
――めちゃくちゃ楽しそうですね。野村さんの中では「仕事」という感覚はなかったですか。
野村 どちらかというと、クラブ活動の延長みたいな意識でしたね。『小学五年生』『小学六年生』のファッションページのモデルをずっとレギュラーでやっていて、そのときのモデル仲間に栗山千明ちゃんとかもいたんですけど。そういったお友だちや親しいスタッフに会える楽しさで続けていた感じでした。
小学校5、6年の女の子が着る服がなかった
――今お名前が出た栗山千明さんや吉野紗香さんといった面々は、野村さんとともにチャイドルとして、またティーンファッション誌『ニコラ』のモデル=「ニコモ」の走りとなっていくわけですね。
野村 今「ニコモ」は本当にすごいことになっていますが、私自身は創刊号のパイロット版から関わっていたので、まさかあんな有名な雑誌になるとは当時思ってもなくて……。今は「あの人昔『ニコモ』だったんだよ」と若い方に言ってもらえるので、ありがたい限りです(笑)。
マネージャー 私はその頃から野村の近くにいて一緒に仕事をしているんですが、97年の『ニコラ』創刊の少し前から、「小学校5、6年の女の子が着る服がない」という話が周りから出ていたんです。
野村 今の子はキラキラ系からナチュラル系まで、ファッションの選択肢がたくさんあると思うんですけど、当時は本当になくて。同世代の女の子とそのお母さんたちがみんな困ってたんですよ。身長は150センチくらいあるからあと2、3年我慢すれば大人の服も着られるんですけど……。