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『源氏物語』でも『人間失格』でも『モテキ』でも男は基本的にじっとしてる。

――過去の恋愛って、遠い日の花火だから綺麗に見えるところがありますよね。

川村 そうなんです。あとは、男の能動性のなさ、みたいなことも書いてみたくて。読んでいる女の人がなるべくイライラするといいなと思ったんですよね。

――そう、それで私はこの小説を読んだ時に『ノルウェイの森』を思い出したんです。アイテムの散りばめ方とか漂う虚無感もそうなんですけれど、なにより男の人の周りに個性的な女性たちがいて、いろいろ物語を動かしていくというイメージが重なって。

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川村 恋愛小説を書くにあたり、過去の恋愛小説を読み直していきました。気づいたのは、どの小説も基本的に、男は動かない(笑)。『錦繍』もそんな話だなと思ったんです。『冷静と情熱のあいだ』も『源氏物語』だってそうだし、恋愛小説とは違うけれど『人間失格』もそう。葉蔵君は何もしないで、でも周囲の女の人は「あの人は天使のような人でした」と言う。恋愛小説というのは、男の人はじっとしていて、その周りを女の人がグルグルしている。その古典性は採ろうと思いました。実は『モテキ』もそうなんですよね。男という装置を使って、女性の多様性を描いている。

――ああ、あのコミックの映画化作品も川村さんプロデュースでしたね。

川村 なんでコイツはこんなに主体性がないんだと思わせる、それが男なんです。でもそれが一番、女性にとっては残酷なことなんだなと思ったんです。男が決めない、動かない、判断しない、事なかれでいる、というのが。『人間失格』の頃からそうだなと思っていたので、それはちょっとやってみたかったんですよ。動かない男性の目線から、女性のカラフルな感情をみせるというのが恋愛小説なんじゃないかなと思ったんですね。結局『源氏物語』だって、光源氏が魅力的なんじゃなくて、まわりの女性たちが魅力的なんですよね。『モテキ』も『人間失格』も。

――女の人たちのバリエーションも豊かですしね。

川村 そう。それを今、書かなきゃいけないと思ったんです。今の女性たちの価値観だったり、恋愛感情の多様性だったりということを、恋愛小説の古典的なフォーマットで書くというチャレンジをしてみたかった。最近、『源氏物語』がなぜ書かれたのか、すごく分かるようになりました。女性のバリエーションを書けば書くほど、恋愛ってなんだろうというところに近づいていく気がしたんです。男性の恋愛感情を書いても全然面白くないっていう。

 

――じゃあ、ここに登場する女性たちは取材で会った方々がかなり投影されているんですね。

川村 ほぼモデル小説みたいなところがあるかもしれない。5、6人をもって1人の人物を作っている感じですけれど。

――婚約者の妹の純という女性が、奔放というか、妙にストレートに主人公を誘惑してきて、あれがものすごくリアルでしたね。ああいう女の人って小説の中にしかいないキャラクターのようでいて、実際に結構いるんですよね。

川村 実際にいます。そうでないとあんなにリアルに書けないですよ。『モテキ』を作った時もそうだったんですけれど「出てくる女性で誰が一番自分に近いですか?」と質問する人がいますよね。でも僕は女の人は阿修羅像で、相手によって全然性格を変えると思うので、女性ならみんな、今回登場する女性たちの誰にでもなりえるんじゃないかと思います。