有名な『卒業』のラストシーン。でも映画では描かれなかった「その後」が大事。
――では『君の名は。』はどういう〈気分〉だったんですか。男の子がいて、女の子がいてという、いわゆる「ボーイ・ミーツ・ガール」ものというところから始まったのか…。
川村 いや、あれは“Boy doesn’t meet girl”なんですよ。『君の名は。』でふたりが出会うのは、たった3回だけです。
――あ、そうですね(笑)。
川村 新海誠さんという作家が描く世界はすごく今の〈気分〉だなとはずっと思っていたんです。その〈気分〉を共有できる形で映画にできるんじゃないかと思って、一緒に仕事をしてみたら、信じられないヒットになった。
男の子と女の子が会う話ではなく、会えない話のほうが今の〈気分〉だったということでしょうね。会ってどうこうなるということじゃなくて、ずっと誰かと会うはずなのに、会えるべき人に会っていないという気分。自分にもきっと、まだ会っていない誰かがいるんじゃないかという渇望感。今恋愛をしていない時代だから育った渇望感だと思います。
――なるほど。では、男女が出会った後を描く『四月になれば彼女は』のラストは、どのように考えていたのですか。
川村 この小説のタイトルを映画『卒業』でも使われたサイモン&ガーファンクルの曲名にしたのは、前振りとして、「恋愛が始まった後の困難を人はどう乗り越えるか」という意味もあるんです。
――ああ、作中でも『卒業』のラストシーンに言及されていますよね。結婚式場から抜け出したあのカップルは、実はあの後の人生が大変なんじゃないかという。
川村 映画の表現でいうと「ピークアウト」と言うんですけれど、ピークが起きた後にはかならず落ちるんです。表現としての映画のクライマックスをピークとすると、必ずアウトがある。そこをどう乗り越えるかというのがすごく大事なんです。恋愛をあえて映画的に言うと、そのピークアウトをどう乗り越えるかが重要だなと思いました。『四月になれば彼女は』という歌は、四月から九月までの歌なんです。サイモン&ガーファンクルは、半年分しか歌ってくれていないんですよ。そこからが大変なんだよということで、その残りの半分を書き継いでいったという感じですね。
――だから月ごとに章が進んでいく形式なんですね。ところで、『卒業』や『道』など具体名が出てくる映画もあれば、『エターナル・サンシャイン』や『her/世界でひとつの彼女』のように、映画を観た人には分かるけれどタイトルが出てこない作品もありますね。あの違いは何ですか。
川村 古典となって定着しているものは名前を書いています。今の問題を書きたいので最近の映画も出していますけれど、今のものや流行りもの、なんというかまだ決着がついていないものは匿名にしています。だから『四月になれば彼女は』というタイトルにしたのも、この曲とこの曲名がなくなることはないと思ったからです。