主人公に大きなトラウマ、という設定はいらない
テロリストは、ランナーへの脅迫だけでなく、関係者への様々な妨害工作を仕掛けてくる。
こういった見えない敵に対峙する不安を抱えたまま、女性刑事はランナーと交流を重ねていく。
「連載をはじめるにあたって、編集者から『主人公の刑事が大きなトラウマを抱えていて』というような設定はもういらないですよね、というディレクションを受けました。私が書きたかったことと一致したんです。
日々暮らす中で、何の不満もなく、万全の状態でいられる人って、ほとんどいないはずで、誰もが小さな傷を抱えていると思うんです。自分自身を引っ張っていってくれる、小さなモチベーションを丁寧に描いて、警察組織の中であがきながらも、困難に挑む女性刑事の姿を描いたつもりです」
天才ランナーに寄り添い、テロリストに対峙する、ごく普通の人間として描かれた女性刑事の等身大の葛藤と成長が、読み手の胸に迫る。
攻撃性や行動パターンが日本の犯罪者とは比較にならない、国際テロリスト集団の襲撃から、ランナーと大会を守ることができるのか。
デビュー10年目に抱いた確信
「2011年に『赤刃』(小説現代長編新人賞)でデビューしてから10年が経ちました。2作目の『リボルバー・リリー』では、映画を見るような小説を作りたいと、3作目の『マーダーズ』では、自分の暗部に秘めた欲望をストレートに吐き出す、4作目の『アンダードッグス』は、中高年の読者の胸を躍らせたいというテーマをクリアすることにこだわっていました。今作は、多くの読者に受け取ってもらうためにどうすればいいか、納得がいくまで取り組むことができました。
個人的なことですが、コロナ禍で手術を受けることになって、よせばいいのに手術の翌日に点滴をぶら下げながら、ゲラに赤字を入れていました(笑)。なぜそこまでしたんだろう、と振り返った時に、やっぱり楽しかったんですよね。この物語がどうなっていくのか、自分自身に期待をしながら、書き続けることができた小説でした。本当の意味での胸をはれる『デビュー作』が書けたと思っています」
限界を超えたものだけに見えるというアキレウスの背中。それを捕らえた著者会心の一冊をぜひ手に取ってほしい。
(構成:文藝春秋第二文藝部編集部)
長浦 京(ながうら きょう)
1967年埼玉県生まれ。法政大学経営学部卒業後、出版社勤務を経て、放送作家に。
その後、闘病生活を送り、退院後に初めて書き上げた『赤刃』で2011年に第6回小説現代長編新人賞、17年『リボルバー・リリー』で第19回大藪春彦賞、19年『マーダーズ』で第2回細谷正充賞を受賞。21年『アンダードッグス』で第164回直木賞候補、第74回日本推理作家協会賞候補となる。