暴力団員を日本刀で刺し、拳銃を売りさばく。密入国者を拉致して国内の業者に斡旋する――。1980年代後半に中国残留孤児2世グループによって結成され、ヤクザも警察も恐れた最強不良集団「怒羅権」。その初代総長であり、10年に及ぶ服役を経験した筆者・佐々木秀夫(ジャン・ロンシン)氏の著書『怒羅権 初代』(宝島社)が話題だ。
父から鞭打たれる壮絶な家族環境から怒羅権結成の経緯、そして出所後に犯罪から足を洗い大工となるまでの壮絶な人生を描いた自伝から、一部を抜粋して転載する。
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「オラァァー! 殺すぞ!」
「おい、やめろ! 俺たちは怒羅権だ!」
眼前には鉄パイプや金属バットを振り上げていきり立つ数十人の男たちがいる。武装した不良グループに突然取り囲まれて私は少々慌てた。
その日、私とナリとヤン、それに舎弟(おとうと)のIと斎○を加えた5人は、単車で湾岸道路を流していた。私とナリとヤンのケツにはそれぞれの彼女が乗っている。
湾岸道路(国道357号)は首都高速湾岸線の両側に配置された一般道だ。大田区羽田から千葉県境の旧江戸川に架かる舞浜大橋まで、湾岸の埋立地をつなぐように建設されている。
葛西臨海公園から都道の葛西橋通りを経由して東京メトロ東西線浦安駅近くにあったボーリング場「ウエスタンレーン」の前まで戻って来たときだ。ウエスタンレーンの駐車場に、愛死美絵無、Number1、米(コメ)といった地元暴走族の集合体である鬼羅連合のメンバー数十人が殺気立った雰囲気を漂わせて集結していた。
そして、私たちを敵と勘違いして有無を言わさず襲いかかろうとしたのだ。
「怒羅権も加勢してくれないか」
「――お前ら、こんなに集まって何をやっているんだ?」
彼らを落ち着かせてから、私は旧知の鬼羅連合のメンバーに聞いた。
「市川スペクターと喧嘩になったんだよ。怒羅権も加勢してくれないか」
「お前らの喧嘩に俺らは関係ねえだろ。悪いけど帰るよ」
この夜に起きたことは今でも鮮明に私の脳裏に焼きついている。
1989年5月日未明――。
鬼羅連合とのやりとりから数時間後のことだ。
ここウエスタンレーンを舞台にして、私たち怒羅権の17歳の仲間が同じ歳の少年をナイフで刺して死亡させる事件が起きた。この通称「浦安ウエスタン事件」によって、怒羅権はその名を世間に広く知らしめることになるのである。
ウエスタンレーンをあとにして何時間が経過しただろうか。