暴力団員を日本刀で刺し、拳銃を売りさばく。密入国者を拉致して国内の業者に斡旋する――。1980年代後半に中国残留孤児2世グループによって結成され、ヤクザも警察も恐れた最強不良集団「怒羅権」。その初代総長であり、10年に及ぶ服役を経験した筆者・佐々木秀夫(ジャン・ロンシン)氏の著書『怒羅権 初代』(宝島社)が話題だ。
父から鞭打たれる壮絶な家族環境から怒羅権結成の経緯、そして出所後に犯罪から足を洗い大工となるまでの壮絶な人生を描いた自伝から、一部を抜粋して転載する。
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中国人犯罪グループは、その出身省によって明確な省民性を備えていた。
「福建省の人間はすごく悪いから気をつけたほうがいいよ」
留置所や刑務所において、私を日本人と勘違いしたり、怒羅権の名前が今日ほどブランド化されていない時代には、そんな忠告をしてくる者も多かった。
当時、彼らがカモにしていたのは、歌舞伎町などを根城とするヤクザである。ヤクザの事務所など関係先に踏み込み、金目の物を強盗する。荒っぽい手口だったが、ヤクザは被害に遭っても警察に相談することはない。それはプライドの問題である。「中国人に強盗に入られました」などと被害届を出そうものなら警察当局からも笑われる。ヤクザの入れ墨を見てビビるのは日本人だけだ。福建省などの不良外国人に恐れなど存在しなかった。
カネで解決する上海人、暴力性を担う福建省グループ
「福建省の連中は何をするかわからない。なんでもやるから怖い。すぐ仲間も裏切る」
そんな忠告を私も山ほど聞いてきたが、大阪人がみんな漫才師みたいに面白いわけではないように、福建省出身者がみんな統一的な性格をしているわけではない。それを肌で知っている私は、笑って流しているだけだったが、福建省の人間が暴力性に長けており、東北三省の人間は、さらに田舎臭い粗暴さまで持ち合わせていた者が多かったのも事実だ。
また、上海出身の人間は荒事を好まず、もっといえばできなかった。いわゆる頭脳でシノギをつくり出す能力に長けていた。金持ち喧嘩せずで、本当の抗争になればカネで解決するか、逃亡してしまうのが上海人だ。目端が利いて、死ぬという最大リスクは負わない賢い連中とも言えるが、日本でカネを稼ぐにはどうしても手足となる人員がいる。それを担っていたのが東北グループや福建省グループになるわけだ。