「氷上のアクトレス」と呼ばれ、2大会連続冬季オリンピックに出場したフィギュアスケーターの村主章枝さん。14年の引退後は拠点を海外に移し、フィギュアスケート振付師や映画プロデューサーとして活躍するなど、独自のセカンドキャリアが注目を集めている。
そんな村主さんに、オリンピックの裏話や、現在活動するアメリカの映画業界について聞いた。
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オリンピックは「伊勢神宮みたいな感じ」
――北京オリンピックが終わりました。村主さんは02年のソルトレイクシティ、06年のトリノと2度の冬季五輪を経験されていますが、アスリートにとってオリンピックは、他のどの大会とも違いますか。
村主章枝さん(以降、村主) 特別ですよね。神聖というか、どの大会でも経験したことのない、澄んだ空気が流れていました。
伊勢神宮って行かれたことありますか? あの感じに似ているかもしれないですね。空気に淀みがなくて、きれいな水がサラサラ流れているような……。オリンピックの会場ってそういう雰囲気なんです。
公平を期すためにスケートの五輪会場には室温や氷温にも厳しい規定があり、あまり寒くなく、温度も常に一定でした。全日本選手権といった大会は日程中とても寒い日があったりするのが当然だったので、印象に残っています。
試合前の数週間続いた「悪夢」
――そんな神聖な空間に、国の代表として一人でリンクに立つ。改めてアスリートの方はすごいプレッシャーの中で闘っていると実感しますね。
村主 私が出場したソルトレイクシティ五輪のときは前年に9・11があって、出来るのか出来ないのかで大会が揺れてました。トリノ五輪では怪我で大変だった上に、道具が合わないことにも苦労して……。そのせいか、試合前の数週間、演技中にスケート靴のエッジが折れる夢を何度も見ました。それだけ心配だったんだと思います。