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日本の皇室は“俗”とは対極
もうひとつ、イギリスを含む海外の王室と日本の皇室は、国民の幸せを願ったり、国の発展を祈ったりするところは同じなのですが、国民から求められる役割は少し違っています。
たとえば映画などの中で、イギリス国王がお城のバルコニーでスピーチをしたり、広場に現れた女王のオーラに民衆が沸き上がるシーンを見たことがあるかと思います。現代の報道などを見ても、海外の王室は“世俗的”であるという感覚があります。ゴシップ誌などに頻繁に取り上げられ、国民もそれを話題にしたり、SNSでプライベートを発信したりと庶民と何ら変わらぬ価値観を持っているような印象すらあります。
翻って日本の皇室は、“俗”という言葉とは対極にある存在ではないでしょうか。公の場では静かに笑顔で手を振り、市民が大騒ぎすることもあまりありません。その代わり、災害が起きたときにはそっと被災者に声をかけて励ます。国民にとっての精神的な支柱、心の拠り所という側面が大きいように思います。皇室の“純粋性”は、その聖性の1つの要素になっていると言えるのではでしょうか。
天皇陛下のお誕生日は、日本中が祝賀ムードに包まれることでしょう。そして愛子さまが国民から敬愛され、ご成長を見守られてきたのは、皇室の現在の姿が肯定的に広く受け入れられていることの証でもあります。
しかし直近の感情だけに流されず、皇室の歴史や役割をしっかり踏まえて男系という純粋性の重要さをあらためて意識する人が増えることを願っています。